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東京高等裁判所 昭和50年(う)920号 決定

本籍および住居

静岡県引佐郡細江町気賀七九一三番地の二

会社役員

天野修一

明治二三年六月一五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五〇年二月二七日横浜地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から適法な控訴の申し立てがあったが、当裁判所は、検察官および弁護人の意見を聴いたうえ、次のとおり決定する。

主文

本件公訴を棄却する。

理由

当裁判所において、本件を審理中のところ、静岡県引佐郡細江町長作成の昭和五一年一二月一五日付戸籍謄本によれば、被告人は、昭和五一年一二月一日浜松市で死亡したことが認められる。

よって、刑訴法四〇四条、三三九条一項四号により本件公訴を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 東徹 裁判官 佐藤文哉 裁判官 中野久利)

控訴趣意書

所得税法違反 天野修一

右の者に対する頭書被告事件につき控訴の趣意は左記のとおりである。

昭和五一年三月三〇日

弁護人弁護士 宮田光秀

弁護人弁護士 木下良平

東京高等裁判所

第一刑事部 御中

原審判決は事実の認定を誤り、且法令の適用を誤っており判決に影響を及ぼすことが明らかであるので以下これについて述べる。

原審判決の認定中弁護人が事実誤認ありとして最も強く主張するのは、被告人の昭和四一年度並びに昭和四二年度における被告人の雑所得として計算されたアマノ株式の売買差益についてである。

右差益は昭和四一年度、二億六、七六一万三、六三六円、昭和四二年度一億一万九、三四二円に及び、被告人の逋脱所得とされる金額の大部分を占めるものであり、又、原審の事実認定もこの点について重大な誤りを犯していると思料するので、この問題点を中心に以下弁護人の主張を述べる。

第一、昭和四一年度、昭和四二年度における被告人の株式売買回数がそれぞれ五〇回未満である事実。

一、総論

株式等の有価証券の譲渡による所得は所得税法第九条第一項第一一号により原則として非課税とされ、例外として、同法施行令第二六条第一項第二項に該当するものは課税されることとなるが、原判決は被告人の昭和四一年度、昭和四二年度中における株式の売買が右施行令第二六条第二項第一号に規定する五〇回をそれぞれ超えるものと認定し、右各年度における株式の売買による所得につき課税すべきものと認定し、被告人が、右課税されるべき所得につき、偽りその他不正の行為により右所得の申告をせず、所得税を免がれた旨判示する。

原審の審理においても被告人の株式の売買が、右各年度、それぞれ五〇回を超えるか否かが最大の争点とされ、検察官、弁護人双方から細部にわたる主張立証が行なわれ、膨大な証拠が提出されたものである。

原判決において右争点について前記のごとき結論を下したこと自体は原審としての見解として受取るとしても、問題となるのは原判決の、前記認定についての理由である。

果たして、原審裁判所は、双方の主張、立証を正確に把握し、多量にのぼる証拠を十分検討したのであろうか、就中被告人の株式売買回数の認定の理由となっている日興証券、安藤証券の各売買注文伝票、並びに日興証券における担当者である大槻国夫の国税査察官、検察官の各調書、裁判所における証言は本件証拠調べの中心として多大の時間をかけて行なったものであるが、これらを一通り検討したうえでの認定理由であるのか誠に疑問とせざるを得ないものである。

以下この点について述べる。

原審判決書一九枚目裏以降の記載によれば原審は株式売買の回数は昭和三六年一一月一二日付国税庁長官通達(直所一-八五直資一一三(2))による行政解釈であるところの受託者である証券会社と、委託者である顧客との間の一回の売買委託契約が一回であると認定したうえで「委託契約の回数の認定は委託者側からみると銘柄の種類、値段、株数、売買の別、注文期間等を要素とする注文の回数に還元しうるものというべく」と判示しているが、以上の点は妥当な認定であろうと思料される。しかしながら右「計算方法の基準」を用いて本件事案を具体的に検討した場合、原判決は証拠について十分なる検討をせず重大な誤りを犯しているものである。

原判決は前記、一委託一回との計算方法の基準にたって株式売買の回数の認定を行なったかのごとく述べているが、関係証拠として最も重要視しているものは関係証券会社の作成に係る売買注文伝票綴(証第二四号の2.3証第三〇号)であり(これが最重要の証拠物とされていることは、判決書二〇丁二一丁(記録一、四二三丁一、四二四丁)に比較的詳しく引用されており、他の証拠物は回数、認定の根拠としては具体的に引用されていないことからも明らかである)又、日興証券担当者大槻国夫の国税査察官に対する質問てん末書、検察官調書、公判廷等における証人尋問の結果であり、安藤証券の担当者林宇一の国税査察官に対する質問てん末書である。これらによって原審は売買の回数を認定している。

しかしながら右主要な証拠として列挙されたものがいかに証拠として証明力のないものであるかを説明し、貴裁判所の公正妥当な判決を希求するのが本控訴の趣意書の最大の眼目であるが、これに入る前に原判決の基礎的誤りを指摘したい。

本件では株式の売買回数について検察官、弁護人とも前記国税庁長官通達による行政解釈である、一委託契約一回、の計算方法の基準を用いることは妥当な基準であるとして争いないのである。

そこで、検察官並びに弁護人は被告人から証券会社に対して何回の売買の委託があったのか又、右委託回数判定の基準は何であるのかを争点として互に主張し立証して来たのである。

しかるに原判決は「…(諸証拠を総合すれば)…その回数は各年とも優に五〇回を超えていることが明らかである(判決書二〇丁記録一、四二三丁末尾から二行目以降)」として判示するのみであって、争点である、本件の具体的取引のどれが具体的に一つの委託、即ち一回であるのか明示せず傍論的に一日一回の注文であった旨判示するにとどまっている。

被告人の場合、自己が創業者、大株主であるアマノ株式会社(当時天野特殊機械株式会社)を株式市場二部から一部へ昇格させることを目的とし、資本金六億円から十億円への増資、大口安定、株主工作、株式市場におけるアマノ株の流通性を高めるために殆んどアマノ株一種類のみの売買を行なったのであるが(原判決も「被告人のアマノ株売買の基本に右主張のような方針があったことは否定できないとしても……」(判決書二二丁記録一四二五丁最後の行以下)「……被告人の本件アマノ株売買の背景底流に前記のような方針計画があったことを窺わせるにとどまり……」(判決書二三丁記録一四二六丁三行目以下)と、右目的の存在は認めている)この場合における注文とはいかなる形のものであるのか、株式売買による利殖を目的とする通常の顧客が証券会社に対する注文と、前記のごとき目的、計画を持つ被告人と同一に考えてよいのかどうか、又、被告人証券会社に対する注文が右のごとき通常の顧客の場合と同じであったのか異なっていたのか、以上のごとき重大な争点についての判断を回避し、被告人の場合における一回の委託とはいかなるものかを示さず、前記のごとく単に「その回数は各年度とも優に五〇回を超えていることが明らかである」と認定するのは、まさに斬り捨て御免的な判示であると考える。

控訴審裁判所におかれては、被告人の場合証券会社に対しいかなる形の注文があったのか、それが何故一委託と解されるのかの基本を先ず判示していたゞきたいと願うものである。

二、原判決摘示の証拠に証明力の無い事実。次に原判決の挙示する委託契約回数認定の根拠について、いかにこれが誤りであるか逐次述べる。

(イ) 関係会社の作成に係る注文伝票綴(証第二四号の2.3証第三〇号)について

原判決は右注文伝票がいずれも被告人から各証券会社に対する注文を表示しているものと認定しているが、これは明らかな誤りである。

原判決は(前記原判決二〇丁記録一四二三丁裏六行目以下)「他方被告人のした株式取引に関する前記注文伝票の記載をみるに……その注文が「今週限り有効」であることを示す「B」の表示をしたものは一葉もないので、いずれも当日限り有効の注文であったことが窺われるし」(判決書二一丁記録一四二四丁表四行目以下「……アマノ株以外の他社株式の取引につき数回「解約まで有効」の約定で注文した形跡があるほか……」「……の買付注文について同旨の注文をした旨の記載がみられるだけで、他はいずれも当日限り有効の注文であったことが明らかである。」と認定し、日興証券、安藤証券いずれの注文伝票も被告人の右各証券会社に対する注文を記載しているものと認定し、右記載が当日限り有効の注文となっているとしている。これがそもそも根本的な誤りである。

右注文伝票は被告人の注文を記載したものではない。

このように述べると控訴審裁判所におかれては、弁護人が、独断的な主張をするかのごとき印象を先ず得られるかと思料されるが、この事実は、弁護人の独断でも何でもない。本件記録中に何回も証拠として繰り返し右注文伝票は被告人の注文を記載したものではないと述べられているのである。

先ず日興証券の株式部次長、兼株式管理課長清水陽の原審公判廷における証言(昭和四七年一月二四日記録八一八丁以下)によれば、委託者(客)からの売買の注文があれば必ず注文を受けた者(受託証券会社の社員)が注文伝票を作成し、これを株式部に回わすものであって、急の場合、受注者が先に電話で株式部に連絡し、注文するとしても、その後直ちに注文伝票を作成し株式部へ送ることとなっている。これには例外もない。」こととなっている。しかしこれは「たてまえ」であって、真実は本件の場合日興証券の担当者であって本件売買について被告人と直接交渉のあったたゞ一人の人間である日興証券事業法人部部長代理の大槻国夫は、次のとおり述べている。大槻は査察官による調査の開始直後は(昭和四三年二月一九日査察官調書問一人の答記録一、八七七丁)大槻が被告人から注文を受けたとき正規に売買注文伝票を作成し、これを本店株式部売買課へ渡し、売買課から兜町の株式部へ連絡し、ここで大槻の書いたものと同じ伝票を作成し、これが法定帳簿として保存されていた、とあたかも正規の方法で作成されていたかのごとく述べていた。

しかしながら取調べが進み伝票自体の解明が進むと大槻国夫は昭和四三年六月二七日付査察官てん末書において問八、(記録一八九二丁)何故天野修一さんの場合、期限付売買注文について毎日出来た数量をその日限りの注文数量として伝票を作成していたのですか。

答 天野修一さんのように大口の株式売買の注文で、その銘柄の売買が少ないような場合には大量に売買の意思表示をすると値段が急変するおそれがあったので、市場の場立ちの方には一応天野さんから注文を受けた数量全部を連絡しておきますが、売付買付伝票は売買が出来た数量だけが、その日に注文があったようにして処理していたわけです。と供述を変え、逆に売買の結果に基づいて注文伝票を作成したことを明らかにした。

そして昭和四四年三月二四日付検察官調書四項(記録一、九四四丁)では、「回数については売付注文伝票が、売買の約定成立後に作成されたものしか残っていないので、売買成立の状況から推定するより方法がありません」とのべ、又昭和四四年二月一九日付検察官調書第三項(記録一、九二一丁)に端的に「天野氏からの注文については売買注文伝票を作成しておりますが、何れも売買の成立する前に作成したものではなく、事後に作成しておりました。」と述べ売買注文伝票が、注文を記載したものではなく、売買成立後作成されたものであることを明らかにし、(右伝票が、売買成立後、しかも、売買の結果の数字をそのまま注文の欄に記入したものであり、又売買の結果の数字と注文の数字に通常は端数がついたりせず、又必ずしも一致するものではないのに、本件の場合殆んど全部一致していることについては後述する)次に昭和四四年七月一一日付検察官調書第一項(記録一、九四七丁)「……注文数量が多くて、又売買成立する数量が少なくとも、注文伝票を起そうと思えば起こせるわけであります。

継続的に注文がありましたので、売買の結果さえ判ればよいという考えであったと思います。」……と述べ理由を挙げて売買結果から逆に注文数を記載したものであって、被告人の注文数量を真実に記載したのではないとのべている。又、昭和四四年二月一九日付検察官調書第三項(記録一、九二一丁)に「天野氏からの受託については、売買注文伝票を作成しておりますが、何れも売買の成立する前に作成したのではなく、事後に作成しておりました」、(記録一、九二二丁)「この売買注文伝票を事後に作成した理由は天野氏からの売買注文の数量はまとまって何万株というふうに多かったが、一度に売買成立することが難しく、分割売買を行なった関係からであります。」と同趣旨のことを述べている。

公判段階においても大槻国夫の昭和四七年二月四日新潟地裁における証言(記録九三七丁)において弁護人の売買注文伝票はどのようにして作るのかとの質問に答え「原則的にはその都度作りますが、この場合は、全部出来てから(売買が成立してからの意味である)その都度できた分について作成したということです。」

と答え弁護人の「その日の取引が終了した後に全部作られているということですか。」「どうしてわかるか。」との問に大槻は「伝票の記録、それから時間等の差からそのように判断せざるを得ません」

と答え以下弁護人の尋問に答え、被告人から受けた注文の原始的記録は残ってない、「原始的な証拠といいますと、具体的には、この売買伝票が正式の帳簿になりますので……」(記録九三八丁)と供述している。

安藤証券の林宇一については比較的簡単な査察官調書を残して死亡したので、売買注文伝票の記載方法については右調書からこの矛盾を衝くことは出来ないが、後述するごとく伝票の記載自体の大きな矛盾及び被告人が売買の主力をおいた日興証券の伝票の右のごとき記載方法を考慮すれば、これと大同小異であろうと推測される。

右大槻国夫の供述は右のとおりであるが、売買注文伝票の現物について前記問題を検討してみると、日興証券株式会社売買注文伝票

(昭和四五年押第二八五号の符号二四の二、三)を検討すると、表紙から数えて二枚目、昭和四一年一月五日分の買注文伝票、銘柄欄、天特、数量欄、一万、指値又は成行欄、斜線、となっており、その下お得意様コード、係コード、顧客名、とあるがここまでは注文を受けた際に、注文を受けた者が記載する欄であり、下部の手合先、と記入項目、約定数値、約定価格は市場において売買が成立した後記入する欄である。

従って上部の注文数量欄の数字と下部の約定数量欄の数字とは必ずしも一致しないはずであり、特に上部の注文数量欄の数字に端数がつくことは常識として不自然である。

(何万何千何百株と半端な数は普通注文しないであろう)例えば三枚目一月一二日の伝票のごとく一四、五〇〇、六枚目二八、五〇〇、九枚目一七、五〇〇など以下非常に多数の伝票にこのように端数がついている。

このことは、この伝票が正規の手続のとおり記入されたものであるとするならば、被告人がそれぞれ一四、五〇〇株、二八、五〇〇株、一七、五〇〇株など、半端な数字を注文し、しかも右伝票を見ると下欄の約定数量は全部これと一致しているのであるから、これが全部その半端な注文のとおり約定出来たこととなる。

根拠の不明な半端な数量を多数回にわたって繰返し注文する、などということは明らかに株式売買の常識に反しており考えられないことである。

右現象を、株式売買の実態に従って解釈すれば、売買の結果である約定数量欄が先に記入され、この結果から、逆に注文欄が記載されたものと認められる。

このことは大槻国夫の売買注文伝票は売買成立後に出来た旨の前記供述等を裏書きするものである。

次に右伝票の指値又は成行の欄が殆んど空欄であることが特徴的である。この点は後に、本件売買注文が一つ一つ指値等する必要のない特殊なものであったこと、と関連して説明することであるが、ここでは伝票自体の説明として、指値或いは成行の指定のない伝票については実際の売買にあたって、その執行者がいかなる価額で売買したらよいのかわからず、結局この伝票によっては実際の売買は出来ないことを指摘するにとどめる。

又、同年四月七日から四月一三日までの伝票五枚、四月二〇日一枚、四月二六日、五月六日各一枚、六月六日から六月一一日まで六枚等(以下省略)は注文の際の記入欄のみ記載があって、売買の結果記入する欄は全部空欄である。そして右各伝票については全部この伝票のとおり売買が出来ていることは査察官田中英雄作成の株式売買調査書等により明らかであるから、注文欄の記入事項は売買の結果の事項であることを示している。

以上の諸事実は、これら伝票が通常の売買注文伝票と異なり、被告人の注文について記載したものではなく、いかなる注文があったか伝票からは判断出来ないが、その注文による売買の結果について記載したものであることを明らかに示している。又安藤証券の売買注文伝票(同号符第三〇号)について検討すると、昭和四一年一月一八日分、一万の注文に対し約定数量一万五、〇〇〇、一月二四日、一万の注文に対し一万一、〇〇〇の約定、そこで右注文数量を一万一、〇〇〇と訂正している。二月八日、一万の注文に対し五万五、五〇〇の約定、(注文数量の五・五倍の売買数量とはいかなることであろうか、同様の伝票が多数ある。)

四月二二日は一月二四日と同様、約定結果から逆に注文数量を一万二、〇〇〇と訂正、四月二五日、五月四日、五月六日、の三枚の各伝票には注文数量なくし、約定の記載のみ、等(以下多数の伝票が右同様の記載となっているが記載を省略する。)があり、更に注文数量、指値欄の記入のないものが多く日興証券の売買注文伝票に関し述べたと同様に、通常の取引ではあり得ない記載内容の伝票となっている。以上の諸事実は原判決が大槻国夫の供述等と並んで事実認定の最も重要な根拠とした売買注文伝票が、いずれも注文の実態を記載したものではなく売買の結果を記載したものであり、注文即ち委託回数の認定の証拠には絶対になり得ないことを示しており、これを委託回数の認定の重要な根拠とした原判決は重大な誤りを侵しているというべきである。

次に

「売買注文伝票に「今週限り有効」であることを示す「B」の表示をしたものが一葉もない」(判決書二〇丁記録一四二三丁裏末尾から三行目以下)との判示について。

日興証券関係の売買注文伝票に今週限り有効の意味を表わす「B」の表示がないとの点について特に原判決は指摘し、これが一日一回の認定の一つの重要な根拠であるとするが、右伝票自体根本的に注文を表わすものではないこと前記のとおりであるので、改めてここで反論する必要もないと考えるが、右の「B」の表示の点について大槻国夫の検察官調書に端的に答えがあるのでこれを引用する。昭和四四年二月一九日付調書第五項(記録一、九二八丁)に被告人の注文の場合一般論とあまりかけ離れてはまずいと思ったので査察官には被告人の注文を一般論に近い形で申したと前置きした後「例えば一般の場合には注文数量の一部しか出来高がない場合には伝票に「内出来」と表示しておったのですが、本件の場合には全然その記入をしていないので売買の都度注文があったと見られた場合がありましたし、期間を表示するA・B或はCの表示もしてありませんので即日注文と看做されたきらいもあったと思います。そこで次に売買伝票にもとづき改めて申上げます」と述べられ、被告人の場合は本来B、Cの記載をすべきところもしなかったもの、と明白に述べられている。

そしてB・Cの表示が記載されなかった理由も次の証拠に適確に述べられている。

昭和四三年六月二七日は査察官調書(記録一、八九一丁)問七天野修一さんの場合は今週限り有効というような注文はありましたか。

答 天野修一さんの場合は今週中限り有効というような注文をうけた記憶はありませんが、指値してこの値段で何株まで売買してくれという注文があっこことは覚えています。

したがってそのような注文は今週中とは限らず売買が成立するまで注文の有効期限があるわけで、売付、買付伝票では「C」の表示をして期限付売買として処理していたことが前にありましたが今ではやっておらず各セールスが頭の中で覚えておいたり何か他に記録をとったりするというやり方になっております。

このように天野修一さんの場合は期限付の売買注文については毎日出来た数量をその日限りの注文数量として伝票を作成しておりました。

問八 何故天野修一さんの場合期限付売買注文について毎日出来た数量をその日限りの注文数量として伝票を作成していたのですか。

答 天野修一さんのように大口の株式売買の注文でその銘柄の売買が少ないような場合には、大量に売買の意思をすると値段が急変するおそれがあったので、市場の場立ちの方には一応天野さんから注文を受けた数量全部を連絡しておきますが、売付買付伝票は売買が出来た数量だけがその日に注文があったようにして処理していたわけです。

と述べられ、問七の答にあるごとく、一般的にB、Cなどの表示はせず、又被告人の場合は右のごとき理由によって、B、Cの表示をしなかったことは明らかである。

B或いはCの表示のないことをもって、被告人の注文が当日限りであるとの原判決の認定は明らかに証拠に反する認定である。

ここで右売買注文伝票以外に原判決の摘示する証拠物について述べると、前記売買注文伝票に続いて持株関係書類(判決書二〇丁記録一、四二三丁一行目以下)と記載されているがこれについては後述する。

次に記載される大槻国夫作成のアマノ株売買に関する明細メモ(証第四五号)は大槻が、本件査察事件の調査が開始された後に、自己が大口注文を小口に分解して売買執行したのではないとの弁解の目的で作成したもので証拠価値の低いものであり、次に記載される安藤証券作成の顧客勘定元帳(証第二七号)、次の各法人との株式売買約定書(証第一一号の七、八、九および一一ないし一三)は前記のごとき売買注文伝票にもとづき機械的に転記し作成するものであるから、売買注文伝票と同じく全く売買の注文とは無関係に作成されたもので、売買注文回数の認定の証拠とはなり得ないものである。

(ロ) 大槻国夫の査察官、検察官に対する供述調書、裁判所における証言等が措信し得ないものである事実。

次に原審判決の第二、第三の事実認定について、売買伝票と並んで重要な根拠となったところの日興証券の担当者大槻国夫の供述並びに証言が、その内容自体並びに同人のおかれた立場からしていかに措信し得ないものであるかについて述べる。

同人は日興証券の事業法人部部長代理として被告人の日興証券における株式売買の全取引について日興側の唯一人の直接の担当者となった者であるが、被告人の注文は全て右大槻に対して行なわれており、同人の他には被告人の注文を受けたものは居らず、結局大槻の本件売買注文に関する供述調書、裁判所における証言が決定的証拠とされているのであるが、これを原審認定のごとき証拠とすることは以下のべるごとく絶対に誤りである。

先ず同人の査察官に対する質問てん末書、検察官調書、公判廷等における証言の三つの間で極めて重要な変化がある事実を指摘する。

この点に関し、原判決は判決書二〇丁表末尾以下において「……専ら被告人との取引を担当した日興証券社員大槻国夫、安藤証券外務員林宇一の両名はいずれも被告人の株式売買の注文の状況について売り買いとも大部分は一日一回のいわゆる当日限り有効の注文であった旨明言し、その供述は互いに軌を一にし、あるいは取調べの過程を通じて一貫している。……」と述べている。

では果たして、大槻国夫は(林宇一については、ひき続き後に述べる)は一日一回と一貫して述べているであろうか、全く否である。昭和四三年六月二七日付査察官調書問三乃至問五(記録一、八九〇丁)の問答で注文は依頼の都度計算する、「注文の都度」というのは売付伝票、買付伝票によってわかる。売付伝票、買付伝票一枚ごとに原則として一ツの注文である、と供述した後問答が進行し問八に至るとその答として、被告人の場合はその注文は一応場へ全部出すが、売買注文伝票は、注文によらず結果を書いたものであると供述を変えている。

そして問九において一つの注文を数日に分けて売買した分については、大槻がこれを検討すれば注文伝票のどれとどれが一つの注文であるかわかると述べ、問一一以下売買伝票とこれに基づいて日興証券社員勅使河原宏が作成した上申書とによって具体的に売買結果から注文の状況を判断して述べているが、先ず昭和四〇年一二月二日の売について売注文伝票は三枚であるが、注文は二回と断定し(昭和四三年六月二七日付査察官調書問一二(記録一、八九三丁)。以下、数日まとめて一回とするのもあれば、一日二回とするのもある(大槻国夫の売買注文回数については後に査察官調書、検察官調書、裁判所における証言を対比した一覧表を示す)

これに対して検察官調書においては大槻の回数推定(この言葉は以下引用の検察官調書で大槻自身用いている)の根拠が売買注文伝票であることは変わらないが、昭和四四年二月一九日付検察官調書第五項(記録一、九二七丁)において「……何日に何万株の注文を受けたか明確にさせるものは現在ありません。そこで国税局係官の調べに対しては売買注文伝票や勅使河原提出の上申書に基き株数、単価、名義人、売買の別、等から推定して注文の回数を申しております。たゞ当時一般論と本件との場合で売買回数につきあまりかけ離れていてはまずいのではないかという気持がありましたので、一般論に近いように申しました。」と述べて査察官調書の注文回数の供述は実態と異なる旨の供述をし、改めて売買注文伝票と前記上申書に基づき注文回数を述べているが同検察官調書第六項(記録一、九二八丁)先ず最初から昭和四〇年一二月二日の売注文は一回とも二回とも見られるが一回であろうと供述し、前記査察官調書の記載の断定的な二回の注文という供述と異なった供述を行なっている。

(以下個別的取引については前述のごとく一覧表を後に示す)

そして以下四通の検察官調書において前記査察官調書とは異なる注文回数の説明をし計算を行なっている。

次に大槻国夫の裁判所における証言であるが裁判所においては前記の査察官、検察官調書とは全く異なった観点から注文回数判定の根拠をのべ回数を計算している。

即ち同人は、裁判所における証言では従来の売買伝票等を基準として、どれとどれとが合わせて一つの注文である、という判断の方法を全面的に変えて、被告人から毎日電話で注文を受けたのであるから一日一回の注文であった旨述べている。第五回公判(昭和四五年一〇月二三日記録一六五丁)における証言において「……日常の売買につきましては毎朝電話で連絡いたしまして、当日の市況、動向をお話ししまして、市場にある売り物はこのくらい買い物はこのくらい、と連絡しまして、それじゃあこれくらい買いましょうということで毎日やっておりました。」と述べ注文の期限については(記録一六九丁)「……朝連絡して、その時の買い値なり売り値なりを決めまして、その日の四時半頃、またきょう一日の商いを報告しておりましたので、一日、一日で日々新たな注文をとるような形になっておりました。」と述べ前日の注文残がある場合翌日の注文はどうなるかとの検察官の問に答えて「また翌日九時半ごろ市況、動向などを報告してその日についての指図を受けてから市場のほうへ注文をします。」と述べ続けて前日の出来なかった分は「まあ一応関係なくなると思います」と供述し大槻が被告人から受けた売買の注文は実際の注文を受けた毎日の電話の状況から判断して一日一回であると、捜査段階と全く変った供述をしている。そして査察官、検察官調書と異なった理由については何も述べていない。

以後、大槻の裁判所における証言は被告人の出張時における注文等の僅かな例外を除き一日一回として述べられている。

この事は何を意味するのであろうか。

大槻は査察官或いは検察官に対し、被告人から注文を受けた当時の状況について「私が天野修一氏から受託し、日興証券において取引をしたアマノ株式の売買状況については、日興証券から提出してある売買注文票、アマノ株式売買控等で判ります。」(昭和四四年二月一九日付検察官調書第四項記録一、九二五丁)と述べられているごとく、売買注文伝票を基本とし、株式売買控等、売買注文伝票綴を基に作成した書類を参考にして、被告人の注文回数を検討して供述しているのである。

この供述が査察官調書四通の主要部分、検察官調書四通の大部分を占めるものなのである。

このように大槻は査察官、検察官に対しては十分な時間をかけ、売買注文伝票にもとづき売買の一つ一つを伝票等と照合しながらどの売買とどの売買が合せて一つの注文であるか、等と詳細に、しかも相当なる理由を示して供述しているのである。

しかるに大槻は裁判所においては一転して、売買注文伝票を無視し、毎日電話で連絡し、注文を受けたから一日一回であると供述を変えているのである。注文回数はまさに本件の帰趨を決する根本的問題であり、これをいかなる認定基準を用いて、何回と決めるかが本件の核心であり、このための主張立証である。

このような根本的問題について、理由もなく右のごとく基本についての供述を変える大槻の言葉には全く信用性は認められないのである。

以下この点について二、三敷衍すると

大槻の前記のごとき注文回数の認定の変わった理由について合理性が認められればそれなりに納得し得るが、本件の場合にはむしろ変わったこと自体大槻の供述の信用のなさを示しているのである。

大槻の査察官に対する供述は昭和四三年二月から六月にかけてであって本件で問題となっている昭和四一年四二年における被告人の株式売買の時点から一年乃至二年後であり大槻のこの件についての記憶は比較的鮮明であった筈である。

そこで被告人の取引が真実、毎日電話で連絡し、毎日注文を受けており、しかもそれをもって注文と判断しうるものであれば、それが簡明直截な結論なのであるから前記査察官に対してその旨答えている筈である。しかしながら大槻は査察官に対しては右のごとくには答えず迂遠な方法をとり、売買注文伝票を基にしこれに然るべき理由を附して整理し回数の認定をし供述している。その上検察官に対しては前記のごとく、査察官に対する供述について「一般論に近い形で述べすぎたきらいがある」として訂正し改めて異なる理由を附して売買注文票により回数の認定を行っている。そして、被告人の売買時期から三年乃至四年経過した裁判所においては従来基本とした売買注文伝票を無視し、電話による注文という別の基準をもって回数認定の基準としているのである。

以上のごとく大槻の供述は最も重要な部分において変転し、到底信用出来ないものである。それにもかかわらず原判決は、大槻の供述は「………あるいは取調の過程を通じて一貫している」(判決二〇丁記録一、四二三丁裏五行目)と認定しているが、一体これは、どの証拠をとらえて右のごとき結論に達したのか理解に苦しむところである。

(ハ) 安藤証券の林宇一の査察官調書、渡辺進の検察官調書が措信し得ないものである事実。

安藤証券において被告人と直接交渉を持ったのは外務員林宇一のみであり同人の査察官調書が最も重要な証拠であると判断されるが、同人は昭和四三年二月一六日付査察官調書問二答(記録一、七三二丁)において「注文伝票は顧客からの注文があった都度作成しますが、相場との折り合いがつかなくて取引が成立しなかったときは、翌日に繰り越すということはしませんで、注文は取消されたものとみて」………

「天野さんの場合は……注文はいつもその日限りで翌日は又、注文をとりなおすようになります」

問四 答(記録一、七三五丁)

「……このような場合は同日の取引であっても注文の都度伝票を作成しますので、注文回数が二回以上になれば注文伝票の枚数も二枚以上になり………」と被告人の注文に対しては一つの注文に対して一つの売買注文伝票を作成した旨述べ、

売買注文伝票の記載の仕方については、昭和四三年六月一四日付査察官調書において、問四答(記録一、七四〇丁)「天野修一さんから注文をうけると宛名、銘柄、指値又は成行、および数量欄を私が記載し場の方に廻わし、場の方で売買が成立すると約定日時、相手方、約定数量、約定価格を営業の方で記載しております……」と被告人からの注文は毎日あり、林はそれを正規の記載方法にもとづき売買注文伝票に記載したと述べている。

しからば林が作成した安藤証券の売買注文伝票(符第三〇号)の記載はどうなっているであろうか。

先にも売買伝票自体の説明のところで述べたのであるが、安藤証券の右伝票の特徴は林が書いた数量欄の注文数より場の方で売買が成立した際に書いた約定欄の数の方がはるかに多い場合が多数あることである。例えば昭和四一年一月一八日分一万の注文に対し約定数一万五、〇〇〇、二月八日一万の注文に対し五万五、〇〇〇の約定、四月二二日は約定結果から逆に注文数を訂正したことは記載上明らかである。

注文数量欄の記載のないもの昭和四一年九月六日、八日、九日、二八日、指値成行欄、数量欄の記載のないもの、昭和四一年四月二一日、二三日、五月二八日、三〇日、三一日、六月一日、二日、三日、四日、(他にも多数あるが摘示しきれない)等

右伝票自体前記、林の供述に反し、注文の都度伝票を作成したなどとは到底認められない記載である。

林の述べるごとく毎日厳格に注文を受けて、これを伝票に記載したのであれば、注文数を大幅に超過する約定高などある筈がないし、又注文欄の数、注文価格、或は成行、の記載のない注文伝票など、これを売買の執行をする場の方へ廻わせる筈はないのである。

このように実際に安藤証券の売買注文伝票を検討すると林の供述は事実に反するものであり、毎日注文を受け、それを忠実に売買伝票に記載したものではないと判断され、又前記のごとく注文数よりはるかに多い約定数が記載されているものが多いところから、被告人の林に対する注文は大口のものであったと推測されるのである。

そこで林から連絡を受けて場に注文を出していた安藤証券の場電係の渡辺進が林の死後、林に変わって検察官の取調べを受け、被告人の注文について、売買注文伝票を基に説明しているのであるが、右渡辺は被告人との交渉は全く無かったものであるし、林からの注文の状態と自己の場電係としての一般的経験から被告人の注文を推測しているにすぎず、前記伝票の矛盾については、この疑問を解消する説明は行なっていない。

そしてこの渡辺進も裁判所において証人として直接尋問の出来ないまま死亡してしまったため、安藤証券関係の被告人の取引についてに前記売買注文伝票に記載されているごとく林が相当自由に売買を任かされ(まとめて売買委任をしたが、執行についてはまかせた、指値株数についてはきちんとしている)ており、且大量の取引を行なっていたと理解するのが妥当であると考える。

以上の如く原審裁判所の摘示する証拠は、いずれも、合理的なものとは言えず、証明力に欠けたものであり、原判決の認定理由は絶対に納得し難いところである。

大槻国夫の述べる売買回数の差異一覧表

〈省略〉

三、株式売買回数についての弁護人の主張

然らば本件における株式売買の実態はいかなるものであろうか、以下弁護人の主張とその証拠を説明する次第である。

(イ) 被告人が本件株式売買を行なうに至った動機、目的並びに被告人と日興証券及び大槻との関係。

被告人のアマノ株式の売買はそもそも日興証券株式会社事業法人部において昭和四〇年一〇月頃、アマノ株式会社(当時天野特殊機械株式会社)の担当者となった事業法人部長代理の大槻国夫がアマノ株式会社が業績、財務内容、将来性等多くの点で優良会社であるにもかゝわらず、その株式は市場性に乏しく、金融機関等の大口安定株主がなく、又当時上場されていた二部市場においても出来高は少なく(昭和四〇年一〇月は平均出来高約八、〇〇〇株、同年一一月は約一万二、〇〇〇株)証券会社の立場からすれば資質がありながら、証券市場においては未開発というアマノ株式会社の将来性に着目したところから、本件において問題となった事態が発生して来たのである。

右のごとく、証券会社の立場からして未開発の状態にあったアマノ株式会社の証券市場における育成を大槻が企図したとき、一方被告人自身は当時高度経済成長の初期にあたり事業を拡大し、アマノ株式会社を一流の会社に成長させようと企図していたのである。

この両者の意図がアマノ株式を東京証券市場の第二部から第一部への昇格を企図する点において一致し、その具体方策として証券市場においてアマノ株式について安定株主を作り、一方流通性を高め所謂人気をつけたうえ一部市場上場の要件である資本金一〇億に増資して、第一部市場に昇格させることが考えられたのである。

そして、この意図のもとに本件におけるごとく安定株主工作を行ない又市場において多量の売買を行なった結果流通性が高まり、株価は上昇し、所謂人気がついて大槻が担当した当時資本金六億円であったアマノ株式会社が本件でその売買が問題となった中心的時期である昭和四一年一二月、一〇億円に増資を行なうことが出来、昭和四二年八月アマノ株式は一部に昇格上場され、所期の目的の達成後被告人の株式の売買も終了したものである。

右のごとき基本的な経緯が存在し、その上に立って被告人は大槻の個別的な助言と指導によって第一生命その他金融機関等大口安定株主に株式のはめ込みを行ない、又アマノ株の流通性を高める為、或いは右のごとく大口安定株主にはめ込む株式を集めるため、株式市場において大量の株式を放出し、且つ売買したものである。

右のごとく本件における被告人の株式売買は通常の投資家のごとく売買差益を得ることを目的とする単純な株式売買とは根本的に異なるのである。

先に原判決の基礎的誤りとして指摘したところであるが、原審裁判所は「委託契約の回数は委託者側からみると銘柄の種類、値段、株数、売買の別、注文期間等を要素とする注文の回数に還元しうるものというべく」と判示している。右注文の要素として示すところは妥当なものであると考えられるが、具体的に右各要素を検討した場合、種々の疑問が生じて来るのである。

特に株数と注文期間については単純に判断しうるものではない。

株数、注文期間について通常の利殖目的の株式投資家が銘柄を自由に撰択して売買差益を計算して売買の注文をする場合にはその目的行為の内容からして単純明瞭な注文となるであろう。この場合には右判示するごとく単純に株数、注文期間の判定はなしうるであろう。

しかしながら、前記のごとき大きな目標を持ち、証券会社の担当者と顧客との間に事前に長期にわたる大量の所謂自社株の放出と売買の計画と相談があり、顧客が証券会社担当者の指導助言にもとづいて自社株のみを長期にわたって放出と売買を行なった場合、右注文の要素の一つである株数と注文期間とは具体的にいかなる判断基準により、どのように結論されるのであろうか。前記のごとき利殖目的の単純な売買の場合とは全く異なるものと考えられるが、注文の要素である株数、注文期間が前記のごとき全く特別の事例に属する被告人の場合、いかに判断されるのか、又その判断基準は何であるか。この問題が本件における最も重要な事柄であると考えるが、これについて以下述べる。

幹事証券会社である日興証券及び担当者である大槻としては、自己の世話するアマノ株式会社が証券市場においても発展し、一部昇格を行ない、又同会社の創業者であり、大株主であり、所謂オーナーである。被告人に利益となることを考慮し、右目的のための行動を被告人と相談の上開始した。このことは又幹事証券会社としても株式売買手数料、増資手続の手数料等大きな利益が予測されることであった。

従って本件株式売買当時においては、日興証券及び大槻国夫並びに被告人の利害関係は一致し、両者は前記の同一の目標に向って株式の売買を行なっていたものである。そこで大槻国夫はアマノ株式の大口安定株主工作を行ない流通性を強化して、所謂人気をつけ、株価を上昇させるという基本的な目的と同社の所謂オーナーである被告人に損害を与えないという附随的目的を踏まえて、株式専門家としての立場から、常時被告人と連絡し、助言し、指導しながら、株式売買を行なったものである。

被告人としても前記の目的の下に専門家としての大槻を信用し、同人の助言と指導を受けながら、本件株式の売買を行なったものである。

右のごとく、当時は大槻と被告人の意図、利害関係は一致し、両者の緊密なる協力のもとに本件売買が行なわれたものである。この事実は、「…………やはり天野氏の注文自体に若干市場に買い気をそそりながらしかも下値をささえて、株価を上げたいというような意向をくんでの売買ということになるわけなんです。」との大槻の証言(昭和四五年一一月二〇日静岡地裁沼津支部の証言記録二三六丁)に端的に示されているほか、須田謙三の証人尋問調書(記録四六二丁)に「…………できうれば天野さんというか、ご発注側に有利になるようなやり方でやりたいと、またそれができるとそれで通ってきたというようなことのために、そのような注文が長きにわたっていたというふうに、私は理解しています。」と述べられていることにも十分現われている。

このように両者協力し、一致して行なった事実について、本件が査察調査を受けた。以後、両者の立場を利害相反するものとの立場に立って本件を解明したところに本件捜査並びに原審裁判における事実解明の根本的誤りが存在するのである。

この点原審弁護人が裁判所の審理段階を通じて本件株式売買における「株価操作」「手ばり」等の疑問点について、大槻がいかにこれに関与したか、或いは大槻自身が疑問の有る行為を行なったのではないかを追及したことは、アマノ株式の市場における推移の解明方法として当然のことであったが、右大槻の行為が被告人の利益に反するにもかかわらず大槻自身の或いは日興証券の利益追及のため行なわれたのではないか、との立場に立って追及したのは根本的な誤りであったものである。

原審審理過程において、株価操作について大槻は弁護人の追及に対して、種々の問答の結果(昭和四七年二月四日於新潟地方裁判所証言記録九五七丁)

「まあ非常に微妙な問題でございますから、それをどう判定するかわかりませんが、全然意思がないと言えばうそになるかもしれませんが、株価操作の限度というのも量とか、関与率とか、利益的に明らかにおかしいというような実態が現われなければ大蔵省のほうとしてはそう厳しくは言はないだろうと思いますが……………」

と結局これを認めている。

しかし、この株価操作が真実は大槻或いは日興証券のためのみに行なわれたのではなく、前記のごとく被告人自身のためにも行なわれたものであった。

又本件の場合のごとく、幹事証券会社が自己の担当する会社の株式市場二部から一部への昇格を目的として安定株主工作を行ない株式の流通性を高め増資を行なおうとする場合には、必然的に、本件と同様市場における株価操作的売買となるのである。株価操作的行為無くしては、前記目的など到底達しうるものではない。

株価操作と言っても、大槻が右に述べるごとく一般投資家に損害を与えるような方法は許されるものではないが、本件のごとき目的を持つ場合は、本件において大槻と被告人が相談の上、大槻の指導のもとに行なった程度の株価操作的売買は当然許されるべきものであり、又株式市場並びに証券業界においては、本件のごとき目的を持つ場合、公然とは言わないまでも当然のこととして認められている行為なのである。

原審弁護人のごとく右株価操作的行為を被告人の利益とは相反するにもかかわらず、大槻が自己或いは証券会社の利益を図り、大槻のみの意思で行なったものであるとの観点から、大槻が担当した本件株式売買を追及することは前記のごとき理由から、株式市場並びに証券業界の常識に反することである。又、このような場合に証券取引法の第一二五条の規定が一方では存在するのに、株価操作の有無を詰問することは「本音とたてまえ」の「たてまえ」の答を強いて要求するものであって、本件の実態に即した「本音」の答が得られる筈がない。

この結果、原審の大槻の証人尋問では、矛盾に満ちた統一的理解に苦しむ答えが羅列するのである。(右矛盾については、後に摘示して説明する。)

本件株式売買の事実の解明には前記のごとく根本的に観点を変え、本件株式の売買については大槻及び日興証券並びに被告人の利害関係は基本的に一致していたので、大槻と被告人は相互に相手方の意思並びに行為を十分理解しつつ信頼関係の上にたって株式売買が行なわれていたとの立場でこれを行なわなければ大槻その他の証人から「本音」の答は得られず、到底真実の把握はなし得ないものである。問題となる事柄は単純なる事柄ではない。複雑な取引が長期にわたって行なわれた事案である。

いかなる観点から証拠の判断を積重ねるかによって結論は大きな相違を持つものと思料される。

以上のごとき理由から控訴審裁判所におかれては、先ず根本的に本件における被告人と日興証券及び大槻との真実の関係を理解していただきたいと願うものである。

(ロ) 大槻国夫の供述調書、裁判所の証言における真実

前記のごとき被告人と大槻との関係を把握したうえで本件証拠を検討すれば自から大槻の矛盾に満ちた供述も理解しうるのである。以下これを解明し説明する。

大槻国夫の供述には捜査公判段階を通じて基本的な特色がある。即ち同人は、被告人の株式売買の注文の方法について抽象的に概括的にいかなるものであったかと問われた場合と、売買注文伝票等に基づいて具体的個別的に問われた場合とでは、答えの内容が異なっていることである。同人の査察官調書昭和四三年六月二七日付、問三、答(記録一八九〇丁)先ず概括的に問われると「天野さんの場合は大口に売買を一任されることはなく、毎日毎日の気配により注文をされるので、依頼回数はその都度計算するよりほかに方法はありませんと申し上げたとおりその都度の依頼回数が株式の売買回数ということがいえます。依頼回数はその都度計算するというのは注文の都度計算するということです。」と述べ、次に問四、問五、と聞かれて、注文の都度というのは売付伝票、買付伝票(売買注文伝票)によってわかるとし、原則として伝票一枚ごとに一つの注文である、と答えながら問六、の答えで、注文のあった日の週限り有効の注文の場合伝票に「B」或いは内出来の表示を普通はすると答え、更にこの伝票の表示に関連して個別的具体的に質問されると問七、で被告人の場合は、「今週中に限り有効というような注文をうけた記憶はありませんか、指値してこの値段で何株まで売買してくれ、という注文があったことは憶えています。したがって、そのような注文は今週中とは限らず売買が成立するまで注文の有効期限があるわけで……………」と答え、続いて問八、においては「天野修一さんのように大口の株式売買の注文でその銘柄の売買が少ないような場合には大量に売買の意思表示をすると値段が急変するおそれがあったので、市場の場立ちの方には一応天野さんから注文をうけた数量全部を連絡しておきますが売付買付伝票は売買が出来た数量だけがその日に注文があったように処理していたわけです」と、被告人の注文は大口であった趣旨の答えに変わっている。

検察官調書においては概括的に「この売買注文伝票を事後に作成したわけは、天野氏からの売買注文の数量はまとまって何万株という風に多かったが、一度に売買成立することが難かしく、分割売買を行なった関係からであります。」「注文数量が多いので売買の期限は不確定で、即日とか週末限りとかいう期限を指定されたことは殆んどありませんでした。途中で打切りの場合にはその旨の連絡がありました。」(昭和四四年二月一九日付検察官調書第三項(記録一九二二丁)と大量の、しかも期限を定めない長期の注文であった旨述べながら、個別的な取引については、右検察官調書第六項以下並びにその後に作成された検察官調書合計三通(同年三月二四日付、七月一一日付、七月二四日付三通のうちの一通)において、一日乃至三日程度の売買を一回の注文として述べているのである。

以上査察官、検察官の一方的な取調べの結果であるそれぞれの調書においてもこのような矛盾があるのであるが、大槻の裁判所における証人尋問の結果においては、その矛盾が甚だしく露呈されるのである。

大槻は裁判所における証人尋問においては、前述のごとく捜査段階の供述をくつがえして被告人からの注文は、被告人の出張日を除き、原則として一日一回と述べたのであるが、具体的に取引の方法や個別的な売買と関連して質問されると曖昧な答えに変わり、大口の注文がありそれを分割売買した趣旨の答えが何回か出るのである。

以下この点に関し大槻の証言を列挙する。

注文の期限については若し大槻の言うごとく一日一回の注文であるならば、注文期限は明瞭に当日限りであるのにもかかわらず「非常に微妙な問題なのですが………………」(昭和四五年一〇月二三日第五回公判証人尋問調書・記録一六九丁)と曖昧な答えをし、次に弁護人、裁判官から当日の被告人からの売買注文数のうち、当日中に約定出来なかった分については、翌日以降どうするのか、との質問に答えて、「……………まあ微妙な表現なんですが、きのうの残りを頼むよとか……………いろんな表現をしたと思います」(昭和四五年一一月二〇日静岡地裁沼津支部証言記録二五三丁)一日一回ではなく、残りは注文の継続として翌日受けたと答えている。

又、裁判官、弁護人の質問で一つの注文数量について当日出来なかった分を、後日に前の注文の残りの分、即ち継続分として場に出したことはないか、と売買時間に関連して追及されると「前日の残りを翌日用いたものもあると思います」と、一つの注文が分割され、継続して売買されたことを認める答えをしている。(記録二五六丁)

又、弁護人の大槻が毎朝九時半頃被告人に電話すると述べたことに関連して、市場において被告人の売買が九時の寄りつきから売買が行なわれているのはおかしいではないか、との趣旨の質問に対し、両者間で、かなりの応酬があったのち、大槻は「だからその継続はあると思います。これは当然」と答えている。

(記録二七一丁)

これにつづき継続性について問答し、その後弁護人が「継続ということばを使ったかどうか知りませんが、お互いに長い取引の間柄ですから、じゃあ又頼むと、あすは指値もここらを見てと……………」と質問すると、大槻は「あいまい模糊とした程度です」と注文の形が一日一回であるとか、期限がどの位であるとか、明確には把握出来ない状態のものであったことを答えている。

又、実際の売買が市場の値動き、取引数量、人気等を観察しながら行なわれている点について、弁護人から「……………ある程度証券会社の扱者としては、注文者から値幅、その他の数量についても任かされなければ、そういうことは出来ないんじゃないでしようか」と質問され、大槻は「当然そうです」(記録二八七丁)と答え、価額、数量についても任かされていたことを認めている。

又、注文の回数について日興証券には物的証拠が残っていないことから、大槻の記憶により一日一回とすることの不確実さを弁護人が指摘、毎日の注文の継続性を糺すと、「継続性があるということはもう言えると思います」(昭和四七年二月四日新潟地裁証言・記録九四〇丁)と答えている。

又、大槻から被告人に対し、五〇回二〇万株について説明したとの件に関連して、弁護人の、一回とはどのように計算すると説明をしたのか、との問に対して大槻は「まあアマノ株式については、同一銘柄を継続的に買ってきただけに非常に微妙な問題になっているわけですが……………」と述べ、次いで普通の投資家との差異があることを説明し、「概念的に一日一回というような回数で勘定しておりました」と曖昧な答えをしている。(昭和四七年二月四日新潟地裁証言記録九六一丁)

又、手合帳をもとに細かく売買について追及されるや、大槻は「注文の一貫性はあるということでご了解をいただけないんですか。再三申し上げているように、ほんとに長期連続で買うという意向は十分わかっているわけです。……………」(昭和四七年一一月一〇日新潟地裁証言記録一二一〇丁以下)。続いて「私の方も具体的に一日一日の商いを追及されますと連続性ということについての回答のしようもないんですね」「きのうも買った。きようも買うということで、社長に連絡とれる前に、まず間違いなく買うという、弁護人から言えば、前日の残額だとその前日の買が九時からスタートしていたということはいえると思います」と答え、更に続いて「あるわくについては相当おおまかに任されていたんじゃないですか」との問に「そこまではっきりした具体性はないんですけど、連日買いということはまず間違いなく執行できると思ってましたけど」

と答え、被告人から細かい売買の注文は受けず、大槻の裁量で売買を行なった場合があることを認めている。

そして同一の日に、しかも接近した時間に安く大量に売って、高く買っている矛盾について問われると種々問答の後大槻は「……………確かに売買の流れとしては大きな注文が背景にあるということは事実なんです……………」と答え、次いで「たとえば五万なら五万の注文があると、しかし場では一万程度しかなかったと、それでは次はあしたも継続するということばを使ったかどうかは別として、そういう調子で次々やったんじゃないでしようか」との問に対し、大槻は「そういう調子で継続したことは事実でしようね」と注文の継続性について明確にその存在を答えている。(記録一二一七丁以下)

以上列挙し説明した如く、大槻国夫の捜査、公判における供述は矛盾点が多く、自己撞着の供述となっている。

大槻は幹事証券会社である日興証券の担当者として、アマノ株式会社並びに被告人のために真剣に努力し、被告人と相談のうえ、一部市場に昇格の目的で増資を行なうため、本件における如き場合の証券業界における常道として、株式の流通性を良くし、株価を上げ、安定株主を作る目的で大量のアマノ株の売買を株価操作的に行ない、又その過程において被告人にも損害を与えないという所期の目標を達成し、大槻と被告人とは共に事の成功を喜んだものである。しかるにその後本件事件となってからは、株式売買当時には全く予想もしなかった株式売買の注文の回数であるとか、委託の回数であるとかについて追及され、しかも検察官からは、売買注文伝票を基礎として、注文伝票のとおりの回数或いは日数に即した個別的な注文があったとの前提のもとに追及され、弁護人からは本件売買は増資目的による流通性安定株主工作が行なわれた特殊の場合であるとの観点から個々の売買についての矛盾を追及され、又被告人の利益に反する行為を独断で行なったかのごとく言われたため、大槻は前記のごとく被告人と共に目標を建て、計画し、実行した本件株式売買について「本音」を述べることが出来ず、「たてまえ」論を貫こうとした結果、前述のごとく矛盾自己撞着の多い供述となったのである。

では果して真相は何なのであるか。以下本件のごとき場合の幹事証券会社としての相手方会社並びに大株主に対する取扱い並びに本件のごとき場合の株式市場における売買の実態を解明しつつ、本件における真実を説明したい。

(ハ) 本件株式売買とアマノ株式会社の株式市場一部昇格のための増資及びその手段としての安定株主工作、流通性を高めることとの関係。

先ず本件株式売買はアマノ株式会社(旧名天野特殊機械株式会社)が東京株式市場第二部から第一部に昇格するに際して一部上場会社として必要とされる資本金を一〇億円に増資するための手段として、幹事証券会社である日興証券の事業法人部の指導によって日興証券の事業法人部部長代理大槻国夫と、アマノ株式会社の代表取締役であり、且、大株主である被告人とが話合いの上で緊密な連絡のもとに被告人が行なった株式の売買であると言うのが根本的な事実である。

アマノ株式会社は、昭和三六年六月に第二部市場に上場され、昭和三九年一二月資本金六億円に増資されたが、昭和四〇年当時同社は業績も上昇し財務内容、或いは発展性においても優れているところから当然第一部市場に上場されるべき会社となっていた。そのような状態にあるとき幹事証券会社の事業法人部における担当者が大槻国夫となったのである。同人は昭和四〇年一〇月か一一月(第五回公判同人尋問調書記録一六一丁)アマノ株式会社の担当となると同社が右のごとく優良会社であるのに二部にとどまっていることは妥当でない、との考慮から上司である事業法人部長須貝謙三の了承を得て被告人と話合いを行ない、右須貝と共に被告人に勧告し、第一部市場への昇格を被告人に決定させそのために同社の資本金を第一部上場会社の資本金下限額一〇億円に増資することを計画した。このことは又幹事証券会社として当然なすべき業務であり、幹事証券会社である日興証券の大きな利益でもあったのである。

前記のごとく大槻或いは事業法人部長であった須貝謙三が被告人に右の事柄を勧告し、決定させた事実は以下の証言に明らかである。

先ず大槻国夫の「私がアマノ株式会社を担当しましてアマノ株式会社が非常に財務内容のいい会社であるにもかかわらず、株価の面とか市場人気の面でいわゆる劣っているということがわかりましたので、社長である天野氏と今後の株価の育成とかそういう問題について全般的にお話しをしてお勧めしました。」(昭和四五年一〇月二三日第五回公判証言記録一六三丁)

と、大槻のすすめによって被告人がアマノ株式を売買する意思を持つに至ったことを述べ、次いで株式の流通性を高めること、大口安定株主を作ることについて説明している。

昭和四七年一一月一〇日証言(記録一二二七丁)においても結局アマノ株式会社の増資の目的に向かって株式の流通性、安定株主の問題が行なはれたことを述べている。又大槻の上司であり事業法人部長である須貝謙三も昭和四六年三月二二日大阪地裁における証人尋問(記録四三四丁)においてアマノ株式会社は当然一部に上場されるべき会社であり「………………当然大きくなる気があれば一部に出られる要件が整ったならば早く出るべきであろうと………………」「…………同時に当然のことながらそういう注文が入れば市場からの売物を買うわけです。まあ売買量がふえますと、当然のことながら二部から一部に上がるにはいろんな趣旨の条件がございますけれども、売買量と流通量も大きく見られるわけですから、いわゆる安定株主の獲得と同時に売買量の増大ということも一つおやりなさいと具申したのです。」と述べている。

以上のごとく日興証券事業法人部の勧告によって被告人はアマノ株式会社を増資し一部市場へ昇格させることを決意したのである。

そこでその具体的方策として、大槻と右須貝謙三の証言にも述べられているごとく株式の流通性を高め、ということは端的に言って売買数量を増して価格を上げ、大口安定株主を獲得することを開始したのであるが被告人としては当然のことながら大槻と十分相談の上大槻の助言、指導を得て右計画を実行して行ったものである。

そしてこの計画に基づく被告人の株式の売買は単に大槻のみならず幹事証券会社としての日興証券自体の方針として強力に行なわれたものである。

右事実は昭和四五年一一月二〇日静岡地裁沼津支部における大槻の証言(記録二二五丁)に次のごとく述べられていることからも明らかである。

検察官の、株式市場における流通性を高めるための売買というものはあるのか、どのようにしてやるのか、との質問に対し「………………アマノの場合非常に商いの出来高も少ないし、いい会社でも買って値段はついても売れないというのでは困るということで、一般の投資者が買いつかないということからやはり売買量を増やすと、増やす方法については当社の日興証券の営業網を通じて第一線に出して、アマノ株式会社が非常にいい会社だと将来性もあるということでたくさん株を買わせると、値段が上ってくればそのうち売りも出てくるということで会社の宣伝にこれ努めたわけです……………一次いで検察官の「それは天野氏自身も自分の売り買いでやるが日興証券としても、各支店を通じて応援をするということなんですか」との質問に「そうです。」と答え、次いで「そうすると、天野氏自身の売買というよりは、日興の応援でアマノ銘柄を推薦するということの方が大きいわけですか、」との質問に「大きいです」と断定して答えている。

右のごとく日興証券全社を挙げての体勢のもとに被告人のアマノ株売買は行なわれたのであるが、前記目的のための売買であるから専門家である大槻の指導助言の下に売買数量、回数を多くし株価を上昇させ、又金融機関等安定した株主に大口の株式を持ってもらうことを計画し、これを実行したのである。

そして売買の実態を見ると、大槻がアマノ株式会社の担当者となった昭和四〇年一〇月頃の直後同年一二月二日に被告人のアマノ株放出が行なわれ、その後売買が行なわれ、特に増資払込時期である昭和四一年八月に向って同年四、五、六、七、八月に頻繁に売買が行なわれ増資後は大槻が述べるごとく後始末的売買が行なわれたものである。その結果アマノ株式は市場性を高め価格も上昇し、人気も湧いた結果、昭和四一年一二月資本金一〇億円とする増資に成功したのである。資本金六億円から一〇億円へと実に三対二の増資率であった。そして昭和四二年八月念願の第一部市場に上場されたのである。

以上のごとき経緯で行なわれた被告人のアマノ株売買は、株式について素人である被告人が行ないうるものではない。専門家としての大槻の知識と幹事証券会社としての営業力を背景として行なわれたものである。

又前記目的から行なわれる売買であるから基本的に大量の売買の注文が存在したことは当然である。しかるにこれが市場における実際の売買の約定としては小口に分けられている。個別的な売買は市場の状況を仔細に観察し、予測しながらきめ細かく行なわれているのである。

何故そのようになったのか、その理由については須貝謙三の前記証言、並びに大槻国夫の第五回公判における前記証言並びに大槻の昭和四七年一一月一〇日新潟地裁の証言にも表われているが、昭和四七年二月四日新潟地裁における大槻の証言(記録九一二丁)に明瞭に現われている。即ち検察官の、被告人が何故そのように細かく毎日売買を行なっていたかとの質問に対し「これは私どもの指導もまあ、指導というか状況報告にもよったと思いますがアマノ株式会社は二部上場で、取引高は少なかったわけで、売買執行については大量に出せることができるわけではないし、大量の買物を出せば上に上がってしまうし、大量に売り物を出せば下がると言うことになりますので、毎日少しづつの売買が適当だろうといふ話を勧めておりました。ですから私どものほうもそういうふうに持って行きましたし、天野氏も別にそれに異存はなかったようです。」

と大槻と被告人との間には前記のごとき大きな目標と、これを達成するための細かい連絡があり、大槻が専門家として指導的立場で臨んでいたことが明らかに述べられている。

(ニ) 本件のごとき目標をもって前記のごとき状況で行なわれた株式売買の場合における売買の委託とは何か。

そこで、このような目標の下における本件のごとき具体的な株式の売買が通常の株式市場における、投資投機による利殖を目的とする売買と同一に考えられるか否かである。

勿論否である。従って右のごとき通常の売買におけるように単純に売買の注文とは何か、或いは委託とは何か、と、簡単に認定しうるものではない。

右のごとき通常の株式売買においては、売買の注文者の意思か証券会社に達し、原審判示のごとく注文の銘柄、株数、価額、執行の期限が明らかとなれば一つの注文、即ち売買の委託があったとして判断し得るであろう。

しかしながら本件のごとく一つの株式会社を株式市場の二部から一部へ昇格させるため、大幅な増資を計画し、このため市場における流通性を高め株価を上げ大口安定株主を作るという大規模で且複雑な取引の場合には左様に単純ではないのである。

先ず前記のごとく昭和四〇年一〇月頃には大槻と被告人との間には右大目標に関する基本的な話合いがあり、ここに先ず被告人のアマノ株式に関する自己所有株の市場への大量の放出と市場における大量の売買についての意思が定まり、大槻の指導と助言に従って所期の目的を達し得る数量の売買を行なうを決定したものである。

このように被告人のアマノ株売買についての基本形態が大槻と被告人との間に定まったのである。

大槻をして「確かに売買の流れとしては大きな注文が背景にあるということは事実なんです」と証言させる状況であったのである。(昭和四七年一一月一〇日新潟地裁証言記録一二一七丁)

この基本的形態に従って昭和四〇年一二月二日以降個別的に大槻の指導によって売買が行なわれたものである。そして前記のごとき状況にあった被告人の売買と、仮定的に大口の包括的売買注文のあった場合との比較としての質問に対し、大槻国夫は次のごとく答えている。

昭和四五年一一月二〇日沼津地裁証人尋問(記録二〇九丁)において一般的な例として安定株主工作などで大量に市場から株式を買集めるのに銘柄、数量、価額、期限を予め定めて委託を受けた場合においても、委託者は証券会社に対して毎日買付価額、数量などを指示してくる旨述べ、又(記録二一一丁)以下検察官の「そうすると安定した大口の株主を作るという工作の場合にはあらかじめ包括的に売り買いは任されていると、こう考えていいわけですね」との問に対して「まあ、しかし事前にやはり連絡はして、いくら相手にはめ込みますとかそういうことは連絡します、約定の段階では」と答え検察官の「じゃあ約束があって実際にやるときには、又再度連絡すると」との質問に「はい」と答えている。その後一問答あった後、検察官の包括的にその値段とか期限が任かされていなければこれは大口安定株主工作と言えないのではないかとの問に対しては「まあ相手の直接やはりタッチする人の性格にもよりますし、几帳面な方は毎日連絡がほしいかもしれませんです………………」と答えている。

捜査公判を通じて一貫して査察官、検察官に対して迎合的であることが歴然としている大槻にしてなお大口安定株主工作などのため大量の株式売買が委託されている場合でもなお且毎日の売買の連絡は必要であると述べているのである。

この事は被告人の株式売買の態様と右のごとき包括的売買注文のある場合との間に差異のないことを示しているのである。

以上のごとく検討してくると被告人の株式売買の場合が、大口の注文即ち大口の委託によるものでないと何を根拠として認定しうるのであろうか、甚だしく疑問に感ぜられるのである。

そして又、本件のごとき場合の売買の委託即ち注文の要素とは何であるのか改めて検討されるべきものと思料する。

(ホ) 大槻国夫の各供述調書、裁判所における証言が矛盾する理由。

原審における大槻に関する証拠は、さきに種々指摘して記載したごとく処々に真実を述べ、被告人の株式売買が前記大目標のための大口の売買注文についての分割執行であるとの趣旨に沿う供述を行なっているのであるが、検察官等から改めて概括的に、大口委託か個別的委託かと質問されると個別的委託と答えているのである。

然らば何故斯のごとく大槻は答えるのであろうか、それは、大槻が被告人から包括的な売買の委託を受けていたが売買の執行に当ってはそれを個別的に行なった旨答えれば被告人の株式の売買は大槻の任意の裁量によって行なかれたものとされ、そのようにして売買が行なわれたこの期間中のアマノ株式の株価の上昇とその原因とを分析した場合、右売買方法に市場の人気を高めるための意図的な行為が存在すると認められるからである。

大槻がおそれるのは、これが証券取引法第一二五条に規定される株価操縦禁止の規定にふれると考えるからである。

しかしながら本件のような一部昇格、三対二の大増資を目標として、これを達成するための大株主による株式の放出、売買という長期、大規模な取引が行なわれるに際して、本件程度の株価工作は当然附随して起るものである。これなくしては到底所期の目的を達成することは出来ないものである。

先に記載したごとく大槻の本件売買において株価操作がなかったと言ったら嘘になるが、投資家に不利益を与えない程度のものは大蔵省でも厳しく言わない旨の証言(昭和四七年二月四日新潟地裁証言記録九五七丁)に、本件の真実があり、又大槻自身アマノ株式会社の一般株主がその後如何に株主としての利益を享受したかは十分知っているはずである。

この点を大槻に理解させ、本件の株式売買は株価操縦禁止の規定には違反しない事案であるとの理解のもとにもう一度証人として真実の証言をさせることこそが本件の真実の解明方法となるものであると確信する。

(ヘ) 本件株式売買は株式の専門家が直接実際の売買にきめ細かく関与しなければ出来ない売買の形である事実。

ここで本件株式売買がいかに専門的な知識をもって、又、市場の状況所謂、気配を遂一知って、きめ細かく行なわなければ出来ない形の売買であるかを説明したい。

原審においても弁護人はこの点について種々大槻を追及しているのであるが、原審弁護人は、この売買の高度に技巧的であることをもって大槻が自己或いは日興証券の利益を図る目的で行なったとの誤った前提のもとに追及し、又その結論を導き出そうとしたために大槻の答えは半ば真実を答えたのみで終ってしまった。

しかしながら真実は再々述べるごとくアマノ株式会社、被告人、日興証券及び大槻、以上三者の共同の目的のもとに行なわれたものであって、本件のごとき特殊な売買をするについて、大槻と被告人との利益は全く一致していたのであり、被告人は大槻の専門的知識、経験を信頼し全てをまかせていたものである。

以下述べるごとき株式売買の専門的技巧的な且、非常に数量的、時間的に細かい売買が株式については素人であり、又大会社の経営者として激務を遂行していた被告人に遂一連絡され、同人の承諾、注文を得て行なわれた筈がない。

本件株式売買は、市場の状況を仔細に見ながら注文されている。例えば状況によっては(昭和四一年六月一一日)一五万株の大量を二回に分けて安く(二八五円、二九一円)売りその二三分後から一万株という少量を五回に分けて高く(二九四円、二九五円)買い戻すなど、通常の株式売買では考えられない方法をとっている。又市場の状況から、その日の被告人の分の売買総数は当然一回の約定で売買できることが明らかなのにもかかわらず数回に細かく売買して、しかも株価を高くしながら買い進んでいることが随所に現われている。

この点に関し、原審の弁論では詳細に述べすぎて、かえって全体の鳥瞰が失なわれたと思われるが、符号第二四号の二の売買注文伝票と、株式売買約定成立時等調査書(田中英雄作成)を検討すれば明らかに認められるところであるし、大槻自身も昭和四五年一一月二〇日静岡地裁沼津支部における証言(記録二八六丁)で「…………それで買いについては少しづつ市場の値を押さえながら買ったり、あるいは上値を買ったり若干弾力性のある買い方をしながらいっぺんに買いますとまたあすから売るものがなくて、人気もつかないということも困りますから、少しづつ買って行った……………………」と非常にきめ細かい買い方をしていることを認め、又このような細かい、いわば作為的な売買について市場或いは場立の方から作為的であり不適当である旨の注意を受けている。「場に値段を掲示しないですこしづつちょぼちょぼ買ってみるというようなやり方、それから当時アマノの株の売買について日興証券が圧倒的な売買のシェアー(記録には「視野」と誤記してある)を示していたと思いますので、取引所はそういう面で注目してたと思うんですが」(記録二九〇丁)と述べている。

場に値段を掲示しないで少しづつ、ちょぼちょぼ買うというやり方は証券会社の場立でもない被告人の出来ることではなく大槻は市場において証券会社の人間でなければ出来ない方法によって本件売買が行なわれていたことを述べている。

そして更に(記録二九一丁)「…………多分引け値だけを、終り値段ですね、これだけを何回か買ってその日の引け値段を保つというようなやり方をしたんじゃないかと思います」と述べている。

このような非常に専門的技巧的な方法でなされた売買の注文が被告人に行ないうるであろうか、被告人自からこのような注文をなし得ないのはもとより、このような細かい専門的な売買の執行について一つ一つ大槻からの連絡があったと考え得るであろうか。

大会社の経営者として激務に追われていた被告人に対してそのような連絡はなし得ないものと考えられるのである。

又今まで述べて来たような非常に技巧的であり且、きめ細かい売買の方法が、大槻の言うがごとく被告人の事細かな指示によるものであるとするならば朝一回の注文と場の終了後四時半頃一回の報告(第五回公判証言記録一六五丁以下)と言った程度の雑な連絡でなし得るはずがない。

以上のごとく被告人の株式売買の状態を具体的に調べて行くと原審認定のごとき大槻と被告人との間に一日の取引が一回の注文によると認められる証拠は到底存在していないと認められ、本件株式売買は前記目標達成のため被告人の基本的包括的了承を得て大槻が被告人のため日興証券のために専門家として毎日の市況に応じてアマノ株式の売買を行なったものと見られるのである。

株式売買の実態として公知のことであるが証券会社の担当者は一般の顧客のうちでも良い顧客に対しては毎日連絡し市場の状況の報告をするものでありこれは注文の有無にかかわらないことである。

まして当時大槻にとって、被告人は本件に見られる経緯からして最も重要な顧客であった筈である。

昭和四四年七月一一日付検察官調書第三項末尾(記録一九六〇丁)において大槻は、検察官の毎日被告人に市場の気配を連絡していたのかとの質問に対し「注文のあるなしにかかわらず毎日連絡はとっていました」と答えている。

右のごとく大槻が殆んど毎日被告人に連絡していたのは事実であるが、その連絡が株式売買の注文の連絡であったとは前記種々述べたごとく到底考えられないところである。

大槻が株価操作の疑いであるとか所謂「手張り」として自己の利益を図るとかの疑いがかかるのを避けるために本件売買期間中における被告人に対する毎日のごとき前記市況報告等の連絡を毎日の注文を受けた連絡であると混同したのが真実であると考えられる。

(ト) 本件当時アマノ株は市場性に欠け、大量の売買をまとめて行ない得ない状勢であったため大口の売買委託を小口に分けて売買執行した事実。

次に本件の注文即ち委託が大口であったか否かは暫らく措くとして、本件売買が行なわれた当時実際の売買において大量の売買がまとめて行ない得たであろうか本件売買開始の直前におけるアマノ株式の市場における出来高は極めて少なく昭和四〇年一〇月は一日平均出来高八、〇二〇株、一日の最多出来高四万二、〇〇〇株、最少出来高五〇〇株、同年一一月は一日平均出来高一万二、二六〇株、一日の最多出来高五万八、〇〇〇株、最少出来高一、〇〇〇株であった。

このような状況において大槻と被告人の目標とする大量のアマノ株式の売買が行ない得る筈がない。右事実は大槻の第五回公判における証言(記録一七九丁)に明らかに述べられている。即ち「冒頭に申し上げましたように市場の流通性に欠けておりましたので、そういう要求があっても当然市場では受け入れられないし、仮に五〇万株買うということを市場に出せば大量に買い注文だけで値段も飛ぶということで、実際問題としてはそういう株数を一般に出しても不可能であったわけです。それを可能な状態ということで毎日少量安定株の買付を出したということになると思います。」と述べている。日興証券事業法人部長須貝謙三も昭和四六年三月二二日大阪地裁における証言(記録四四三丁)で「たとえば二〇万買うといたしますと、その当時アマノの株なんていいますのは、市場性というものは非常に薄いんです。細かい商いが片寄りますから手当をすれば、どんどん値は上がるであろうと、また同時にその注文がとだえたなら、値段はぐんと下がってしまうであろうと……………そうすると現在数字を中心に売り物が出たらぼつぼつ出していくと、そういう買い物をしたということで、頻度が、値が上がるからためたりというんじゃないと思います………」と最後のところは速記録の不備か意味不明な答となっているが、右答えに続いている検察官の質問「現実に取引の詳細を検討されてそうだと断定されたわけじゃないんですか。天野氏の日興における取引を詳しくご覧になってそれでこういうふうに今おっしやったように大口のものを細かく分けたんだと断定されたわけですか」と合わせて考慮すると前記須貝は、最後のところで、大口の注文があったか、当時のアマノ株式の市場性の無さから細かく売買され売買の頻度が上がった趣旨を答えたものと思われる。

以上のごとく、当時、アマノ株式は大口での売買は市場においては行ない得なかったことが明らかであり、大口の注文即ち委託であっても本件におけるごとく小口に分けて売買するより方法がなかったものである。

本件においては、実際の売買が小口で多数回行なわれており、その小口、多数回の売買の記録のみが残っているということが注文回数の認定に非常に大きな影響を与えているのであるが、右伝票記載のごとき小口の売買方法は大口注文の場合にも、必然的にとらざるを得なかったものと認められるのである。

この点について、大槻が次のごとく述べている点に真実が存すると考えるものである、即ち昭和四三年六月二七日付査察官調書問八の答(記録一八九丁)「天野修一さんのように大口の株式売買の注文でその銘柄の売買が少ないような場合には大量の意思表示をすると値段が急変するおそれがあったので市場の場立ちの方には一応天野さんから注文を受けた数量全部を連絡しておきますが、売付買付伝票は売買が出来た数量だけがその日に注文があったようにして処理していたわけです。」

又昭和四七年二月四日新潟地裁における証言で(記録九五四丁)次のごとく述べている。検察官の、被告人から注文を受けた場合全部を場に注文として出したのか否かとの質問に対し、大槻は「全部出さなかったと思います」と答えその後一問答あった後(記録九五五丁)「原則的にはないんですが、特に事業法人の場合はそういうのは非常にむつかしい条件付きの注文を株式売買課のほうでは割合受付けますんでやりますが一般のお客の営業伝票ではそういうことはないわけです」。

以上のことは、当時のアマノ株式の市場性の問題から注文と売買執行がいかなる関係にあったかを明らかに示しているものと思料される。

(チ) 被告人が売買回数計算の根拠を知らずに本件売買当時目から売買報告書により一日一回と計算していたことは被告人の行為が一日一回の売買であったとの認定の根拠とはなり得ない事実。

前記事実に関連することであるが原判決は判決書二一丁記録一四二四丁において「………の記載部分をみると被告人自身ですら当時概ね一日一回の認識のもとに右の計算を試みていたことが現れ…………」と述べ当時被告人が一日一回として回数の計算を行なっていたことを以て一日一回との認定の根拠としているが、これは甚しい暴論である。

株式売買回数の認定について、いかなる基準をもって一回と定めるか、ということは、本件当時においては証券業界においてすら一般的には認識されていない事柄であって、顧客の証券会社に対する売買の委託をもって一回の売買とするということは、本件捜査が開始されてから明瞭に大槻等証券会社の者或いは被告人に認識されたことであって、本件の売買が行なわれていた当時は五〇回の回数制限の存在は知っていたとしても、前記のごとくいかなる基準をもって一回とするかは右関係者等も明瞭には知っていなかったものである。

大槻の昭和四七年二月四日新潟地裁における証言(記録九六〇丁)において弁護人の、当時大槻がどのようなものを一回と考えていたか、それを被告人にどのように説明したか、との問に対して大槻は「まあアマノ株式については同一銘柄を継続的に買ってきただけに非常に微妙な問題になっているわけですが、普通取引の回数という場合には一日一回ということで普通の投資家が当日やられた株をまた数日後は別の株式の売買というようなことで、それは、はっきりするわけですが、この場合は、継続的に買っておきましたので私のほうも概念的に一日一回というような回数で勘定しておりましたので、天野氏側のほうにも、そのような趣旨で伝わっていたかもしれません。」と述べている。

右のごとく、大槻は普通の投資家即ち右の答の中に述べられているようなその日によって異なる銘柄を売買するという通常一般の顧客の場合に該当する右回数計算方法を或いは適当でないかとも意識しながら漠然と被告人の場合についてもあてはめ、被告人に連絡したと思われるのである。

通常の、単なる株式売買による利殖を目的とする顧客の売買の委託と、被告人のごとく再々述べている大きな目的を持って幹事証券会社と相談のうえその指導のもとに一種類のしかも自己がその最大の株主である会社の株式を売買する場合とでは、委託の状態が全く異なることは自明の理である。

それにもかかわらず被告人は大槻の前記のごとき連絡を受け、又被告人自身に回数問題について専門家である大槻以上の知識があるわけはないから被告人としては証券会社が売買注文伝票をもとに作成し送付してくる売買報告書により当然一日一回として計算を行なっていたと思われるのである。

しかしながら本件における売買回数の問題は高度に技術的で専門的な知識を必要とする所得税法のしかも施行令に関する問題である。

被告人が構成要件について一日における売買が一回であると誤って解釈し、その誤って解釈した構成要件に更に自己の大口委託の行為を誤って一日一回の売買行為と解釈して、あてはめ計算していたからと言って被告人の行為が一日一回の委託であったと認定する一つの根拠とするなど誤りも甚だしいものである。

被告人が、一委託一回との計算根拠を知り且毎日委託行為を行なったうえで尚一日一回の計算を行なっていたのであれば、原判決のごとき認定となるであろう。しかしながら本件売買当時は証券会社員の大槻でさえも一委託一回などということは知らず前記証言のごとき回数計算を漠然と行なっていたのである。被告人が本件売買当時一日一回の計算を行なっていたことが原審判決のごとき認定の根拠となり得ないこと以上のとおりである。

(リ) 被告人はその性格から見て大口の包括的注文を行なうとは措信し難いとの判示について。

次に原判決は「思うに価格の変動が激しくその予見さえ容易でない株式売買にあたり、被告人が金銭的にきびしい性格であったが故に市場の気配動向に無頓着にその主張するように大口の一括注文のみに終始していたとはたやすく信用し難いところであって………」と述べているが、さきに大槻の証言として指摘したように、安定株主作りなどの大口株式の売買の場合予め大口の売買の注文のある場合でもやはり個別的な売買に際して事前に連絡するのが通常であって、この点については大槻は検察官の執拗な尋問にもかかわらず、右の趣旨を多少ぼかしながらも貫いている。(昭和四五年一一月二〇日静岡地裁沼津支部における証人尋問、記録二一一丁以下)

右のことは判決の示すごとく「金銭にきびしい性格であるから大口一括の注文のみに終始したとは考えられない」から被告人の場合は毎日注文したであろう。又金銭的にきびしい性格であるから大口の包括的注文が出来ないとの認定は誤りであることを示している。大口の包括的注文の場合でも注文者は売買にあたり事前に個別的な連絡を要求するのである。被告人の売買の場合と異なるところはないのである。

(ヌ) 大槻国夫から被告人に対して提出された株式売買についての損益計算書の意味。

次に被告人の金銭的にきびしい性格ということに関連するのであるが、本件株式売買の最も盛んであった昭和四一年五、六月頃に大槻から被告人に対し株式売買の損益計算書を提出したことがある。(昭和四五年一一月二〇日静岡地裁沼津支部証言記録、二八四丁、二九五丁)

右計算書を提出した趣旨は当時被告人から大槻が、本件株式売買によってもうかってはいないのではないか、と質問され、利益は上っていると説明するためであったことは前記証言に現われているが、ここで弁護人が指摘したいのは、若し本件売買が、大槻の証言するごとく、被告人からの一日一回の注文による売買であるとするならば被告人が損をしようが利益を上げようが、大槻としてはその結果については全く責任はない筈である。しかるに大槻は、被告人からの右質問に答えてわざわざ売買の損益計算書を作成して被告人に持参して弁解している。このことは大槻自身に本件株式売買の結果について被告人に対し責任があったことを示すものであり、大槻が被告人から大口の包括的売買委託を受け、これを大槻の判断によって小口に売買執行していたものであることを示すものである。

(ル) 査察調査開始後に証券会社により作成された三つの文書の信用性について。

原判決は被告人の昭和四三年九月一〇日付上申書に添付されている須貝謙三、安藤正敏、作成の各文書、大槻国夫作成の覚書(証第四七号)はいずれも本件の査察調査開始後に作成されたものであるから信用性がないとのニュアンスを示し「その記載内容も被告人のアマノ株売買の背景底流に前記のような方針計画があったことを窺わせるにとどまり、具体的注文の態様が被告人のいうごときものであったことを裏付けるには足りない」(判決書二三丁、記録一四二六丁)と述べている。

右文書は確かに本件査察調査の開始後被告人の要求によって作成されたものであるが、その内容として、先ず須貝謙三の文書は「一、一部上場のため市場性の増大、安定株主の獲得を証言したことは事実である。二、従って貴殿から注文の数量は前項の趣旨に基づくものが多いので大口(二〇万株前後)が主力であったと予想される。三、しかし当時のアマノの市場性からして一時に大量の買付執行は非常に難しく、値段激変を併ない安定先への嵌込みを不可能にすることが考えられるので、市場の売物を少量宛拾うのやむなきに至ったと思料される。四、具体的回数については当社受注職員大槻がその都度、売買状況に応じて、注文の趣旨を売買担当者に連絡し、その日の商内か終了後出来高状況を連絡のうえ、当初の受注メモを破棄していたので今直ちにその回数を確めることは困難である。」と記載してあり安藤証券株式会社東京支店長安藤正敏作成の文書は「売買注文伝票の数量欄の記載株数は初期の二、三枚を除き貴殿発注数量が分割記載されているとのご指摘がありましたが扱者林宇一の説明では、一度に大量発注しても価格の変動を招きやすいので当日の市況を勘案し適当数量を数日にわたり分割起票したものであり当日の売買状況はその都度ご報告申し上げていることは…………」と記載されており、大槻作成の文書は「毎日の売買情況報告は連絡していたが買付注文株数については大きな嵌込み計画の実行として買付けを開始したと判断する。それで具体的には相当大口の株数(嵌込先の二~三〇万株)を一度に市場から買付けることは不可能である。値段が大幅に変動する等もあり二~三〇万株単位の嵌込みの買付けは当然毎日少しづつ買付けるような方法となった。」と記載している。

ところで右各文書の作成者は本件審理に当って原審裁判所においていずれも証人として尋問され、検察官からも厳しく追及されて証言しているが、その結果は、いずれも大体右文書のとおりの証言を行なっている。

右文書の内容はまさに本件の核心の問題であるため、右両名特に大槻の証人尋問は複雑多岐にわたり証言の趣旨は、単純に一貫してはいないが、先に大槻、須貝については、その証言として、指摘したごとく、大口の注文が存在した旨をはっきりと答えている部分があり、又、安藤正敏の証言(昭和四六年一月二八日公判、記録三三〇丁)においては、昭和四三年七月四日、安藤証券東京支店において被告人と右安藤正敏と担当者である林宇一と三者で話合いを行なった際、林宇一に確認し被告人の株式売買についての話合の状況結果により前記文書を作成した旨答え、検察官の繰返えしの執拗な尋問「そうすると林外務員の態度とか返答のことはですね、これはどうだったんでしようか。あなたが見たときに、天野氏の言うとおり一括して注文を受けたものを場には分割して出したということをはっきりと断定的に肯定するような様子に見えたんでしようか」との問に対し右安藤は「そういう感じを受けました、確かその場ではそういうことを言ってたんじゃないかと思います」と答えている。

右文書作成当時昭和四三年には安藤証券としては、被告人との取引は既ねなかったのであるから被告人に迎合する必要はなく、又証言当時は勿論取引もなく被告人として訴追されている者に迎合する理由はないのである。しかるに右安藤は、その証言の速記録記載に明らかであるが前記記載の問答の他検察官の執拗な尋問にもかかわらず林が大口注文を小口に分割売買執行していたと断言しているのである。

以上のごとく前記各文書の作成者は本件裁判において証人として証言し、ほゞ文書の内容のとおりの事実が存在した旨述べている。従って右文書が本件査察開始後に作成されたものであっても作成者がこれについて証人尋問を受け、反対尋問に曝され、しかもその文書の内容に沿う証言をしていればその文書は当然十分な証明力を持つものと判断されるのである。

原判決の示すごとく査察開始後に作成された文書であるからとの理由で証明力がないかのごとき判示は全く承服出来ないところである。

又原判決は右各文書に関し前記のごとく「被告人のアマノ株売買の底流に前記の如き方針計画があったと窺わせるにとどまり、具体的注文については被告人の主張を裏付けるに足りない」旨判示するがここで考えてみると一方右各文書には被告人から大口の注文があり担当者がこれを小口に売買執行した旨の記載があるのであるから、原判決の示すごとくこれを以て被告人の注文が大口の包括的なものであったことは立証できないまでも検察官の一日一回の売買の委託が存在したとの主張に対しては絶対的疑問を投げかけているのではなかろうか。

(ヲ) 原判決が回数認定の根拠として摘示する証拠物の基本は売買注文伝票一つのみであり、これは先に述べたごとく信用性のないこと。

本件捜査、公判を通して株式売買の立証に当って一つの特徴として、見られることは、証拠物としては、基本的には証券会社の売買注文伝票があるのみであることである。

原判決は「株式売買の回数をみるに」として証拠物として証券会社の売買注文伝票綴(証第二四号の2.3.証第三〇号)前掲持株関係書類(証第七号)株式売買計算書(証第一六号)大槻国夫作成のアマノ株売買に関する明細メモ(証第四五号)安藤証券作成の顧客勘定元帳(証第二七号)、各法人との株式売買約定書(証第一一号の七、八、九及び一一ないし一三)を摘示しているが、これらを検討すると、一番目の注文伝票綴の他は全て、この注文伝票綴を基本として作成されたものであることがわかる。

「持株関係書類」は、被告人側で証券会社から送付された株式売買報告書株式売買計算書をもとに作られたものであるが、右株式売買報告書株式売買計算書は、売買注文伝票をもとに証券会社が作成するものであり、次の「株式売買計算書」は前述のとおりのものであり次の「大槻国夫作成のアマノ株売買に関する明細メモ」も、大槻自身証言するごとく右売買注文伝票に基づいて作成されたものであり、安藤証券作成の「顧客勘定元帳」も、売買注文伝票を単に転記したものであり、次の「各法人との株式売買約定書」も売買注文伝票を基に作成されたものである。

以上のごとくみると、本件株式売買については、基本的には売買注文伝票が唯一つ存在するのみであり、売買に関する他の書面、記録等は全て売買注文伝票を基にして作成されていることがわかる。

そして売買注文伝票は、先に一、(イ)で述べたごとく被告人の注文を記載したものではなく売買の約定成立の都度その結果を基にして逆に作成したものなのである。

右のごとく検討してくると、原判決が回数認定の根拠として摘示する前記各証拠物は全く証明力に欠けるものといわぎるを得ないのである。

以上のごとく被告人の本件株式売買回数についての原審判決は各証拠の内容の把握を誤り、又採用を誤っているのであるが、弁護人として最後に控訴審裁判所に訴えるのは、本件売買回数の立証に当っては、弁護人においても又検察官同様決め手となるべき証拠は持っていないが、原審の証拠判断には以上述べたごとき種々の、合理的疑のある問題点が存在するのである。

言うまでもなく刑事々件においては稀な例外を除き立証責任は検察官にあるのである。

被告人側の指摘する証拠が積極的に被告人の主張する事実を認定するに足りないものであっても、これが検察官の主張立証に強い疑問を抱かせる場合には検察官の立証が不十分であるとの判断が下さるべきである。

専門部である控訴審裁判所に対しては申し上げるまでもないが、租税事件ではあっても本件は刑事々件である、税務行政の実際で行なわれているごとく税務当局の認定を覆すには納税者側の疎明、証明が必要であるとの感覚が原審判決の底流にあるとするならば、是非とも控訴審裁判所におかれて刑事々件として公正な判断を改めて下されるよう切望する次第である。

第二、本件株式の売買は、所得税法九条一項一一号本文に該当し、したがってこれによる所得は課税の対象とならない。

一、即ち、第一において述べるとおり本件株式の売買回数は、いずれも年五〇回に満たないものであり、その事実関係においても非課税とさるべきものであるが、もともと本件株式の売買はその性格上営利目的のための継続的行為に該らないものであるので、有価証券の譲渡による所得に対する非課税の原則に該り、これに対する除外事由である所得税法九条一項一一号イ及びこれを受けた同法施行令二六条一項に定める営利を目的とする継続的行為には該当するものではなく、したがって前記原則に従い法九条一項一一号本文により非課税所得の対象とされるべきものである。

しかして、本件株式の売買に対しては所得税法施行令二六条二項の規定はもともと適用されず、しかも右規定を字義通りに解するとすれば法律の委任の範囲を超え違法なものとして無効であると解すべきものである。

そうであるとすれば、そもそも本件株式の売買による所得に対しては、法律上の見地よりしても課税の対象とはならないものというべく事実関係としてはもとよりのこと法律関係それ自体においても、ほ税罪の成立があり得ないものである。以下この点につき詳述する。

二、原判決は、所得税法施行令二六条二項は法律の委任の範囲をこえた無効なものであり、被告人のなしたアマノ株式等の売買取引は営利を目的とした継続的行為としての要件に欠けるから、これによる所得は所得税法九条一項の所得にも該当せず、同法九条一項一一号本文により課税の対象とならないものであり、もしかりに右施行令二六条二項が無効でないとしても右年度における被告人のしたアマノ株の取引回数は五〇回未満で、その取引は営利継続性に欠けるからその所得は非課税のものであり、したがってこれにつきほ税罪は成立しないものであるとの弁護人の主張に対し、所得税法施行令二六条の一、二項については、妥当な範囲において法律の規定を具体的に補充敷 するものであって、法律の規定の趣旨を逸脱するものとは認められないので右規定が無効であるとの主張は理由がないものとし、次に被告人のなしたアマノ株等の株式の取引回数の点について、その回数は各年度とも優に五〇回を超えているものとした上で、その売買による所得は所得税法九条一項一一号イ、同法施行令二六条二項により営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じたものとして当然課税の対象となるものとなし、アマノ株の売買が営利を目的とするものでなかったとする弁護人の主張につき判断を加えるまでもなくその主張を理由ないものとして排斥している。

しかしながら、原判決は、すでに詳述したごとく回数の認定において明白な事実の誤認をなしているとともに次に述べるとおり営利継続性の点につき明らかに事実を誤認するし、かつ法律の規定の解釈を誤っているものである。その理由につき詳述することとする。

三、(一) この点につき原判決は、「本件当時施行の所得税法(昭和四八年四月法律第八号による改正前のもの)九条は所得税を課さない所得を列挙し、その一一号において有価証券の譲渡による所得でイからハまでに掲げる所得以外のものとして、有価証券の譲渡による所得は一応原則として非課税としながらも大 な例外を認め、そのうちイにおいて継続して有価証券を売買することによる所得で政令で定めるものを含めているのである。すなわち継続して有価証券を売買したことによる所得は課税の対象となることを法律自体において明示している。ただ何をもって継続した売買と認めうるかの基準については流動的に変遷してやまない複雑な現代の経済現象から見て、これに対処して公平適確な課税を実現するためには、法律で一義的に規定することはかえって相当でないと認め政令に委任したものと解されるのである。進んで右政令の規定の内容を見るに、第一項において、有価証券の売買を行う者の最近における当該有価証券の売買の回数、数量又は金額、取引の種類、資金の調達方法、施設その他の状況に照らし営利を目的とした継続的行為と認められる取引か否かを判定の基準としているのであり、第二項においては、その年中の売買回数が五〇回以上でかつその株数又は口数の合計が二〇万以上であるときは、その他の取引の状況の如何にかかわらず、その回数、数量が著しく多大であること自体によって営利を目的とした継続的取引に当るものとするもので、それらの基準はいずれも社会通念に照して明確に識別することができるばかりでなく、租税の基本原則からみても妥当な範囲において前示法律の規定を具体的に補充敷するものであると解されるのであり、法律の規定の趣旨を逸脱するものとは認められない」としている。

(二) しかしながら、本件株式の売買は、以下述べるとおり、所得税法九条一項一一号本文に該当するものであって、非課税所得の対象となる売買である。

即ち、右九条一項一一号本文は、有価証券の譲渡による所得は、同号イ、ロ及びハに該当する場合を除いては、課税されないと規定し、非課税の原則を明らかにしている。このように有価証券の譲渡による所得について非課税の原則を宣明している理由としては、投資奨励の見地と課税技術上その把握が困難である事情に加えて、別途有価証券取引税を課税していることから、法の規定する除外事由を除き所得税を課税しないこととなっているのがその理由とされている。その代り、非課税となる有価証券の譲渡により損失を生じた場合でも、税法上は損失なかったものとみなされているのである。

ところでこのような非課税の原則に対し法の規定する除外理由として、有価証券の譲渡による所得について所得税を課税されるのは、所得税法九条一項一一号イにおいて「継続して有価証券を売買することによる所得として政令で定めるもの」と規定されており、いかなる継続的売買に対し課税するかについては政令に委任してある。右法九条一項一一号イを受けて、施行令二六条一項において「有価証券の売買を行なう者の最近における有価証券の売買の回数、数量又は金額、その売買についての取引の種類及び資金の調達方法、その売買のための施設その他の状況に照らし、営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じた所得とする」と規定され、右規定に定める営利を目的とした継続的行為に該る場合においては、事業所得又は雑所得のいずれかに該当するものとされている。

ところで、右法九条一項一一号イ及びこれに受けた令二六条一項に定める「営利を目的として継続的に行われる有価証券の売買」の要件としては、その主観的要件において(1)安値における買入と高値における売却の各反復による売買差益の利得を目的とし、したがってその客観的要件として(2)右のごとき買入と売却とが同等の要素として必須のものとされ、(3)売買の対象となる銘柄は売買差益の利得の目的を達するという見地から専ら選択され、(4)継続的な売買が単に一銘柄に止まらず少くとも数種以上の銘柄について物色されていることを要するものであって、このことは、右要件に掲げる営利目的性及び継続性から容易に導き出せるものである。

(三) しかるに、本件株式の売買には、右要件が欠けているものであり、したがって前記規定に定める営利を目的とする継続的行為には該らないものである。

即ち、(1)売買差益の利得を目的として、株式の買入及び売却がなされたものではなく、したがって営利の目的が存しない。(2)売り銘柄も、アマノ株一銘柄のみであり、その売り買いの目的は、アマノ株式の市場流通性を高めるとともに適正な株価の形成を期待し、それとともに大口安定株主を確保するためになされたものであり、したがって買入と売却とが同等の要素とされることもなく、もとより売買の対象となる銘柄の選択を売買差益の利得という見地からなされる余地など全く存しなかったものである。

この点につき若干詳述するならば、右売買の対象となったアマノ株式は、被告人が創立し自らの発明考案にかかる独創的な製品を市場に送り出し、自らオーナー社長としてその成長発展に全精力をそそいで来た会社について、さらに一層の成長を期するために一〇億円増資と東京証券取引所第一部上場を期待し自ら保有するアマノ株式を市場に放出したものである。

アマノ株式は、会社の経営基盤の確立と業績の進展に伴い昭和三六年より東京証券取引所第二部上場銘柄とされるに至ったが、さらに右株式を同取引所第一部に上場することが会社の今後の発展のためには、是非とも望まれるところであった。しかしながら、右第一部に上場するための前提条件として株式の流通性を高めるとともに適正な株価の形成と維持をはかり、あわせて大口の安定株主を確保する必要があった。しかるに実際上アマノ株式は、浮動株が少ないため流通性に乏しく、しかもそのままなんらの対策を講ぜず放置するときは適正な株価形成がとうてい期待できない状態であり、又かかる状況では大口安定株主工作も困惑を極めていた。

そのため会社創立者でありオーナー社長でもある被告人としては一方において自ら保有するアマノ株式を市場に放出するとともに他方その補充のための株式の買入れもなしてもって市場流通性を高めかつこれによって適正な株価を形成維持する必要に迫られていたのであり、又かかる措置は大口安定株主づくりのためにも必要欠くべからざるものであった。もとよりかかる株式対策は、証券会社側よりの適切なアドヴァイスと具体的な指導なくしては行い得ないものであった。

かかる観点より本件アマノ株式の売買がなされたものであって、その基本的な目的は右のごとくあくまでもアマノ株式の流通性を高め、適正な株価を形成維持するためになされたのであって、売買による利鞘を稼ぐためになされたものではない。勿論いかに流通性を高めると言ってもことさら売買差損を生じさせる必要がないことは言うまでもないから、結果的には差益が生じたことは事実であるがこれはもとより右目的のために行われた売買に伴う付随的なものに過ぎないのであって、差益を目的として売買がなされたものではないことは明らかである。

そうだとすれば、正に本件においては売買差益の利得を目的として株式の買入及び売却がなされたものではなくしたがって営利の目的が存しないことはもとより、売買の対象となる銘柄の選択などなされる余地が全く存しないこともまた明らかである。

四、(一) 以上のとおり、本件株式の売買については、営利を目的とした継続的行為に該らないことは明らかであるが、このことは次に述べるとおり法律の規定の解釈上からも明らかに導き出せるものである。

即ち、所得税法九条一項一一号イを受けて施行令二六条が定められ、非課税の原則に対する除外事由を規定しているものであるが、そのうち所得税法施行令二六条二項の規定は、法九条一項一一号イの授権の範囲を逸脱し、かつ規定の内容が不明確であり無効のものであると認めるべきであり、したがって本件株式売買の実質より見れば、その所得は非課税とすべきものである。

(1) 令二六条二項は、一年の売買回数が五〇回以上で、かつ株数の合計が二〇万株以上であるときは、その他の同条一項に規定する取引に関する状況がどうであるかを問わず、その者の有価証券の売買による所得は、同条の規定に該当する所得とすると規定しているが、右条項を規定の文言に従い字義通りに解釈するときには、法律の授権の範囲を逸脱したものとして無効というべきである。

もともと本項制定にいたる沿革についてみるならば、国税庁の昭和二八直所五-三四号通達の1の2の項において、営利を目的とする継続的行為であるか否かの判定について、年間の回数五〇回以上、かつ取引総株数二万五千株以上である者がする取引は一応の目安となるという見解を示していた。そして、これが昭和三六年改正の旧所得税法施行規則四条の三第二項の規定として法文化され、さらに現行施行令二六条二項とされるにいたったものであるが、右制定の沿革から明らかなとおりその趣旨とするところは、右に定める外形上の基準が営利を目的とする継続的行為に当るか否かを判断するための一応の目安としての判断資料と解すべきものなのである。

(2) もしこれを右規定の文言に従いその字義通りに解釈するとなれば、単なる外形的な回数と株数とによって、その他の要件を一切無視して課税対象を定めたものであって、これが法律の授権の範囲を超えたものとなることは明らかである。

なぜならば、法律がその所管事項を定める権能を委任又は授権した政令(委任命令)にあっては、個別的、具体的に限定された特別の事項についてのみ行うことができ、法律が規定すべき事項を、法律自身では何んら規定せず、これを命令にまかせてしまう一般的、包括的な白紙委任が認められないことはいうまでもない。

これを租税法についてみるならば、租税法の分野においては租税法律主義の原則が支配し、したがって命令への委任には、当然、他の一般の場合に比べてより一層厳しい限界が存するものであり、特に課税要件はすべて原則として法律で定められるべきものとされ、命令によって定められる事項は、右の原則に牴触しない範囲内に限られ、具体的、細目的な事項についての補充的規定及び法律の解釈的規定に止まるべきことはもとより言うまでもないところである。

ところで、令二六条二項を前述のとおり行政上の指針として営利を目的とする継続的行為に該るか否かの判断をするための一資料と解するのならばともかく、これを規定の文言どおりに解釈するとするならば、本来法律で明定すべき課税要件を命令によって定めたものとして違法な命令として当然無効とされるべきである。なぜならば、前述のとおり法律において、有価証券の譲渡による所得に対しては非課税の原則を打ち出し、これに対する除外事由として法律において継続的売買による所得を掲げ、いかなる継続的売買に対し課税するかについては政令に委ねており、令二六条一項においてはこれを受けて「有価証券の売買を行う者の最近における有価証券の売買の回数、数量又は金額、その売買についての取引の種類及び資金の調達方法、その売買のための施設その他の状況に照らし、営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じた所得とする」と定め右に掲げた売買の諸状況から判断して、営利を目的とした継続的行為と認められるものに対しては課税するとなしたものであって、右規定は正に法律の授権乃至委任の範囲内における補充的かつ解釈的規定として有効といわねばならない。

しかるに、右令二六条二項においては、

前項の場合において、同項に規定する者のその年中における株式又は出資の売買が次の各号に掲げる要件に該当するときはその他の同項に規定する取引に関する状況がどうであるかを問わず、その者の有価証券の売買による所得は、同項の規定に該当する所得とする。

一、その売買の回数が五〇回以上であること。

二、その売買をした株数又は口数の合計が二〇万以上であること。

と規定している。

この条項は、一見外形上前項の令二六条一項の規定を補充乃至その特例を設ける体裁をとりながら、実質においては新たな課税要件を定めたものなのである。即ち、各号に掲げる要件-売買回数五〇回以上、株数二〇万以上-に該るものは売買の諸状況即ち売買の実質的内容を全く無視して営利を目的とした継続的行為として課税の対象となるとするものであるから、本来かかる規定は課税要件として法律に明定されねばならないものであることはもとより、法律に定める営利性及び継続性の要件を政令によって壇にその内容を設定したものであって、明らかに法の授権乃至委任の範囲に逸脱しているものというべきである。

(3) このことは、例えば、次の事例について見れば自づと明らかとなる。

右令二六条二項の後に第三項の規定が昭和四一年の改正によって設けられたが、右第三項は専ら株式の公開の方法により行なう株式の譲渡については営利を目的とした継続的行為とみて課税することは妥当でないという観点から売買回数や株数から除外することとしたものであるが、右第三項が昭和四一年の改正で設けられる以前を考えてみるならば、もし株式の公開の方法により行う株式の譲渡についても第二項により課税対象となすものも考えとするならば、右規定が不合理であり、法の授権の範囲を逸脱していることは自づと明らかとなる。

なぜならば、右のごとき株式の公開の方法により行う株式の譲渡は、その内容を実質的にみれば、株式の証券取引所への上場に伴い取引所を通じての株式の売出により広く一般公衆より株主を求めることであり、いかに譲渡の回数や株式数量が多いからといって、これを「営利を目的とした継続的行為」に該り課税の対象となるものとすることは、全く不合理なことであり仮りにもしこの場合にも令二六条二項が適用になるとすれば、これは全く法の趣旨に反することとなることはいうまでもない。言いかえれば、かかる株式公開の場合においては、もともと右第三項の規定の有無を問わず「営利を目的とした継続的行為」には該らず、したがってもとより売買回数や株数計算より除外すべきものなのである。しかるに、規定の形式上令二六条二項の規定が存するため、かかる趣旨を明らかにするため特に第三項のごとき規定を入れざるを得なくなったものである。

要するに、令二六条二項の規定によれば、売買回数、株数の要件さえ充たせば、本来営利性を有しない売買についても営利性が存在するものとみなし、また継続性が存しない売買についても継続性が存在するとなすものであって、これは、明らかに法律に定める営利性又は継続性の要件を超え命令をもって新たな課税要件を設定したものであることは明らかである。(このことは、令二六条二項の規定を次のように言いかえてみるならば、自づと明らかとなる。即ち、右規定は「売買回数五〇回以上、株数二〇万以上の売買による所得は、営利を目的とせず、又継続して取引しなくとも課税される」ということを定めていることとなるが、しかしながらかかる規定はもとより法により定められるべきものであり、その内容は法九条一項一一号イに定める「営利目的による継続的取引」を逸脱していることは明白である。

所得税法に定める営利性又は継続性の要件については、もとより規定の文言、その沿革、法体系内での均衡等よりする一定の解釈がなさるべきものであることは勿論であり、かかる解釈よりして営利性となし得ないものを、これに包含することが出来ないことはいうまでもない。しかるに令二六条二項によればいかに営利性の存しない売買(例えば前述の株式公開の場合)にあっても、売買回数や株数さえ充たせば、当然に課税の対象となるとするものであって、右規定は、その体裁こそ法の規定の補充乃至特例を設ける形をとりながら、その実質においては新たに別箇の課税要件を設けたものと全く同一であり、法の授権乃至委任の範囲を逸脱した無効のものであることは、租税法律主義の原則から言って明らかであると思料する。

(二) 前述のとおり令二六条二項においては、

前項の場合において、同項に規定する者のその年中における株式又は出資の売買が次の各号に掲げる要件に該当するときは、その他の同項に規定する取引に関する状況がどうであるかを問わず、その者の有価証券の売買による所得は、同項の規定に該当する所得とする。

一、その売買の回数が五〇回以上であること。

二、その売買をした株数又は口数の合計が二〇万以上であること。

と規定されている。

ところで、右規定を見た限りにおいて、株式又は出資の売買が営利を目的とする継続的行為に該当するものとされるには、一又は二のいずれかに該当すれば足りるのか、それとも一及び二のいずれもの要件に充たすことを要求されるのか、全く判然としないのである。

右規定中「,,,次の各号に掲げる要件に該当するとき,」という文言は、正に前者ともとれるし、又後者ともとれるという曖昧かつ不明確な規定であって、法律専門家を含めおそらく何人といえども右規定の文言のみをもってしては、いずれとも判断し難いものであることは明らかであろう。

この点につき、従来の実務上の取扱としては、一及び二の要件の双方を充たすことが必要であるとされているが、それならば何故かく解することができ又かく解さねばならないのかということについての条文上の根拠を挙げることは甚しく困難なのである。むしろ、かく解することが納税義務者に有利な取扱となっているがため納税義務者側より余り問題にされていないというだけのことであり、右規定がいずれの趣旨を定めているのか全く不明という他ないのである。

このように、不明確かつ両義性を有する規定をもって、実質上新たに課税要件を設定した本規定は、その内容それ自体において不明確かつ不確定なものであって、正に法的安定性と予測可能性の保障を害するものであることは明らかであり、違法として無効であると言わねばならない。

(三) 本件株式の売買は、所得税法施行令二六条三項各号に掲げる株式の売買とその実質において同じであるのでもし仮りに令二六条二項の規定が無効でないとしても、右三項の準用ないし類推適用によって、二項に定める営利を目的とする継続的行為に該るか否かを判定するための売買回数及び株数より除外すべきものである。

即ち、右令二六条三項各号においては、(イ)株式の公開の方法により行なう株式の譲渡(一号)、(ロ)株式が最初に証券取引所に上場された日においてその株式に係る発行法人の発行済株式の総数の一〇〇分の二五以上に相当する数の株式を有する者がその上場の日から一年以内に有価証券市場において行なうその株式の売買(二号)の各号に定める株式の売買は、令二六条二項の売買の回数や株数から除外するものと規定されている。

ところで、もともと非課税が原則である有価証券の譲渡による所得を課税の対象とする趣旨は、営利を目的とした継続的行為から生じた所得については、いわば事業所得類似のものとして課税する趣旨であることが窺われるのであるが、かかる課税の趣旨からすれば、株式を上場するために株式の公開の方法によって行なう株式の譲渡や株式が上場されてから日が浅いために、安定株主をつくるためとか、株価の安定を図るとかの目的で有価証券市場を通じて行なうその株式の売買が営利を目的とした継続的行為とみることはとうてい出来ないことであるため、これを売買回数や株数より除外することとされたのであって、このように令二六条三項の規定の趣旨とするところは、各号に定めるような株式の売買は、もともと営利を目的とする継続的行為には該らない旨を明言しているのである。

ところで、本件株式の売買は、前述のとおりアマノ株式の流通性を高めるとともに適正の株価の形成維持をはかり、あわせて大口安定株主づくりに資する目的をもってなされたものであり、その売買の実質的内容は令二六条三項各号に定める売買と全く同一である。もっとも、右令二六条三項各号の規定を見ると、第一号においては「株式の公開の方法により行なう株式の譲渡」と定めながら、右株式の公開について、証券取引法第四条第一項の規定による大蔵大臣への届出と同法第二条第四項に規定する株式の売出をいうものとされており、又第二号においては株式保有数量及び売買期間を限定しているものではあるが、その趣旨とするところは、かかる株式の譲渡は、営利を目的とした継続的行為には該らないとするものなのであって、厳密に右要件に適合しない場合においても、その実質的内容において同じであるものについては、準用乃至類推適用せらるべきものであることはもとより言うまでもないところである。

そうだとすれば、前述のとおり本件株式の売買は、アマノ株式の流通性を高めかつ大口安定株主づくりに資する目的をもってなされたものであるから、右規定の準用乃至類推適用によって売買回数及び株数より除外さるべきものであることは明らかであると言わねばならない。

第三、給与所得について

(一) 被告人が天野工業技術研究所から小屋寿名義で昭和四〇年中に受領した八八万円、同四一年中に受領した一一二万円の計二〇〇万円につき、右小屋が同研究所から受取るべき給与を被告人において立替え前渡ししていたため、該立替金を被告人が右研究所から回収したものであって、仮名の給与ではない旨の弁護人の主張に対し、原判決は昭和四〇年六月天野特殊機械株式会社と小屋との間に、同人を名目上一定期間前記研究所の嘱託とすること、二〇〇万円をその間の月給、賞与等の前払の形式で支払うとの条件で和解が成立し、現実には同人に対し被告人から同額の金員を支払って解決をみた後、被告人は同研究所に小屋に支給する名目で自己に月給、賞与等として昭和四〇年六月から同四一年一一月までの間計二〇〇万円を支出させ、右和解による支出金を回収したものであるとの経緯を認定した上、被告人が小屋名義で右研究所から右給与の支給を受けていたことは動かし難いところであり、そこに至る事情がいかなるものであるにせよ、右金員は被告人の給与所得として課税の対象とされてもやむをえないものとなし、さらに小屋に対し二〇〇万円を支払っているからといってこれを控除すべきいわれはなく、自己の受領した給与を他人の所得の如く仮装し、これを申告より除外したのは違法な脱税であると認定している。

しかしながら、原判決の右判断は、全く事実を誤認しているのみならず、その理由に著しい矛盾乃至齟齬が存するものであると思料する。

(二) 天野特殊機械株式会社と小屋との間に和解が成立し、被告人が右小屋に対し、被告人が右小屋に対し、右和解金と同額の金員を支払って解決をみた経緯については原判決の認定するとおりである。

ところで、被告人が本来研究所の支払うべき金員を小屋に対し支払った理由についてみるならば、まず昭和四〇年六月成立した右裁判上の和解の内容としては、(一)被告人が理事長をしている右研究所が小屋を同年六月より翌四一年一一月まで嘱託名義で雇傭することとし、毎月の嘱託手当八万円、年二回の賞与一二万円、退職金八万円を支給すること、(二)小屋の研究所における地位は名義上のものとし、出所に及ばないこと、(三)右支給金の合計二〇〇万円を被告人が研究所のため予め小屋に立替払いして前渡しをなし、被告人は、小屋が右期間に研究所より受取る給与等につきこれを代位受領して、右立替金の回収をすること、(四)小屋は直ちに訴を取下げることをその骨子とするものであって、したがって被告人としては右和解条項の履行として全額を一時に立替払をなし、右立替金につき後日、研究所より小屋に支払われる給与等につき小屋に代位して受領し、もって右立替金債権の回収に充当したまでのことであって、右給与の代位受領が単なる債権の回収の一方法たるに過ぎないことはもとより言うまでもないところである。

被告人として、右のように右研究所のため一時に全額を立替払した理由としては、小屋としては右支給金を一時に全額支払ってもらうことを強く要望したのに対し、右研究所としては当時これに応じ得るだけの経済的余裕が存しなかったこと、しかも右研究所は被告人が私財を投じて設立し、自ら理事長の地位にあったことから、事案の解決のため止むなく、かかる措置に及んだものであって、このような立替払の方法は世上しばしば行われるところであって、事案解決のためにはもとより適切妥当な措置であると言わざるを得ない。

しかるに原判決は、なんら首肯し得る理由を示すことなく単に立替金債権回収のための代位受領にすぎないものを被告人が小屋名義で右研究所から右給与の支給を受けていたものと速断し、さらにすすんで他人の所得のごとく仮装したものと断定しているが、これは全く事実を誤認したものであることはいうまでもない。

前述のとおり、被告人が右研究所から受領した金員は、正に小屋に対する給与であり、被告人としては小屋及び研究所との間の約定によりこれを小屋に代わって受領しもって立替金債権の弁済に充当していたものであるに過ぎない。原判決は、被告人が小屋に対し和解金と同額の金員を支払った経緯について認定しながら、他方研究所より被告人が受領した同額の金員については、これを被告人に対する給与としているが、それならば、何故に小屋に対する給与の支給が被告人に対する給与の支給とされるのか被告人が小屋に対し支払った金員についてどのように解しているのか、又小屋及び研究所としては被告人に対し右立替金についてなんら返済する義務が存しないとなすのか、これらの点については全く触れるところはなく、ただ単に形式的に小屋名義で給与の支給がなされこれを被告人が受領した以上、いかなる法律関係が有するのか全く判断せず被告人はこれを給与として取得したものと認定したものであって、これが事実を全く誤認していることはもとより、その理由には著しく齟齬が存することは明白である。

事実は、前述のとおり一時立替払した金員の回収のため、研究所より小屋に対し支給される給与を被告人において代理受領しもって債権の弁済に充当したものであって、これが給与所得として課税の対象となるものではないことはもとより、他人の所得の仮装などに当るものでないことは自明のことであると考えられる。

第四、被告人には、株式譲渡所得についてはもとより、以下の本件各所得につきこれが課税対象となるものとの認識及び申告脱漏が偽りその他不正の行為によるものであるとの認識が全く欠けているものであり、したがってほ脱の犯意が存しなかったものである。

一、この点につき、原判決は(一)株式配当収入について名義株は慣行により残存したものであり、配当所得ほ脱の手段ではなく被告人には申告脱漏が偽りその他不正の行為によるものであるとの認識すなわち犯意が無かった、(二)利息収入について申告当時記憶になかったもので脱税の犯意はなかった、(三)割引債券償還差益について源泉分離課税と信じていたので申告所得と気付かずほ脱の犯意は存しなかったとの弁護人の主張に対し(一)名義株に対する配当金についてもその収入関係を遂一明確に記帳しておるのに、判示各確定申告に際し、自己名義の株式の配当収入だけを申告し、名義株に対するこれをあえて申告より除外したことはとりもなおさず被告人にほ脱の犯意があったものというべきである。そして、被告人の名義株設置仮装文書作成等一連の行為は自己の資産ないし所得の正確な把握を著しく困難にしてこれを秘匿し、延いては税の賦課徴収を困難ならしめるに足る工作をしたものというべくほ脱の犯意を有していた、(二)利息収入は被告人自身当然知悉していた筈であるのに、これを申告しなかったことはほ脱の犯意を推認させるに十分である。(三)被告人が割引債券償還差益の申告の必要性に気がつかず所得の一部について脱税の認識がなかったとしても、右年度の所得について過少申告の認識を有する以上、右償還差益を含めた客観的脱税額全部につき所得税ほ脱犯が成立すると判断し、弁護人の主張を排斥している。

しかしながら、原判決は、次に述べるとおり明らかに事実を誤認するとともに法律の規定の解釈を誤っているものである。その理由につき以下詳述する。

二、(一) アマノ株式会社の前身である天野特殊機械株式会社が被告人によって創立されて以来、会社役員及び幹部職員名義の名義株の慣行が存していた。かかる名義株の慣行は、もともとは公開につき株主数を多くする要請と役員及び職員の社会的体面の保持及び勤労意欲の向上をはかるという観点から、適当な時期に賞与等の方法で実際に実株主とする方針の下に発足し、事実その一部については名義人を実株主とすることが実現したのであった。ところが、数回に及ぶ増資に伴い名義株が急増したために、一挙に実株主とすることが困難となり、止むなく名義株の慣行が残存することとなったものであり、当初より所得の把握を困難にする目的をもって配当所得ほ脱のための手段として名義株を設けたものではないのである。

したがって、被告人には、申告脱漏が偽りその他不正の行為によるものであるとの認識はもとより存しなかったことは明らかである。被告人としては、配当所得に関する税務処理についてすべてアマノ株式会社の浅賀経理課長及び松崎株式課長の両名に任せていたものであり、その処理の内容についてなんら知るところはなかったのであり、まして名義株主別の配当所得税の確定申告が被告人自身の所得の秘匿ならびに税を免れるための方法としてなしているとの認識など全く存しなかったことはいうまでもないところである。

(二) 受取利息の点については、金額も少額であり、被告人自身も申告に当り、単に脱漏したにすぎないものであり、もとよりこれにつき租税を免れるための認識は存しなかったものであり、かかる事情にあるのに原判決が単に金銭出納帳に記載が存することのみを以って他に格別の証拠も存しないのに拘らず「……申告しなかったことはほ脱の犯意を推認させるのに十分である」となしているのは、余りに速断に過ぎるものというべきである。

(三) 割引債券償還差益については、原判決も認定するとおり、昭和四二年七月一日以降に発行される割引債券については申告納税で精算することを要しない分離課税とされ、このことは、同年初め頃から宣伝されていたものであり、したがって被告人は申告すべき所得であることに気付かなかったものである。しかるにこれに対し原判決は被告人のこの点に関する認識について「…かりに気がつかなかったとしても……」としてなんら事実の認定をなすことなく「…所得税ほ脱におけるほ脱の犯意は、各勘定科目ごとの個別的な犯意である必要はなく、脱税の意思で過少な申告をすることの認識があれば、かりに所得の一部について脱税の認識がなかったとしても、客観的に免れた全税額について、……所得税は脱犯が成立するものと解するのが相当である」となしいわゆる概括的故意の概念により犯意を認めているのである。

しかしながら、所得税ほ脱犯の構成要件としては、単に税を免れただけに止まらず、「偽りその他不正の行為により」これを免れることが必要であることはもとよりであり、したがって正にほ脱犯は、不正の行為によって免れた税額の範囲においてのみ成立するに過ぎないのであり、かつその成立には、不正の行為の前提となるべき納税義務の認識が必要とされることはもとよりいうまでもないところである。

しかるに、原判決は「……配当所得その他前段で説明した各所得につきすでに脱税の犯意があったものと認められ……被告人が右年度の所得について過少申告の認識を有していたことは明らかであるから、所論割引債券償還差益を含めた同年度の客観的脱税額全部につき所得税ほ脱犯が成立する……」旨判示しているが、これによれば、ほ脱結果の発生についての概括的認識さえ存すれば免れた税額についての納税義務の認識も又不正の行為についての認識も存しなくてもほ脱犯の故意が存するものとなしているものであって、論理の飛躍であり、ほ脱犯の構成要件の規定を全く無視した見解であると言わざるを得ない。

しかしながら前述のとおり、ほ脱犯は当該所得についての納税義務の認識を前提とし、不正の行為によって免れた税額の範囲内において成立することはいうまでもないところであり、いいかえれば不正の行為によって免れている範囲内においてのみ責任を問われることは明らかである。そうだとすれば、本件償還差益について被告人としては申告すべき所得であることに全く気付かず、したがってこれについての納税義務の認識を欠いているものであり、ましてや不正の行為によって税を免れるとの認識など全く存しなかったものであるので、これにつき犯意が存しないことは明白であるといわねばならない。

この点について、原判決は事実を誤認するとともに、法律の規定の解釈を誤っていることが明らかであると思料とする。

昭和五一年五月三〇日

弁護人 木下良平

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